2017年02月10日

「けなす」と「キレる」

こないだ、「万年B組ヒムケン先生」(#34 自分を変えたい女子の巻)を見ていて、うわあああ!!!って思ったシーンがあった。
このTVerでその回を、2/14の00:57まで見られます
http://tver.jp/episode/26014561/

ヒムケン先生の番組については説明省きます(私はデスバンドと小峠さんのやりとりが超好きなので毎回見ています)
 
私がうおおおって思ったのは、「痩せたい、キレやすい性格をなおしたい」っていう女性(ユウコちゃん)に、先生(三四郎の小宮)が敢えて手荒な特訓をする、っていうところ。
その荒療治が「敢えてキツいことを言うから、キレないように我慢して」というもので、ユウコちゃんの好物を先生が目の前で食べて「こんなの食べてるから太るんだよ ブス」とか言う、っていうもの。「これも彼女のため」とかナレーションが入ってた。
それでもユウコちゃんは言い返すだけだったけど、小宮先生が
「お前みたいなブスに食う権利はねえんだよ」
「ブスで我慢できないっていいところねえな」
と酷い言葉で煽りまくって
「頑張ってんだよこっちも!」というユウコちゃんに
「頑張っててもダメだから」
って言って最終的に「お前うるせんだよ 黙って聞いてれば! アア!?」ってユウコちゃんが小宮先生に掴みかかる、っていうシーンでした。
それで「またキレてしまった・・・」って本人も反省して落ち込む。

ああああああ!!!! これだああああ
って思った。
自分ってこの構図だったんだ、って思った。
登場人物は「ダメな人(『自分ってダメだ』とすごく思ってる人)」と「ダメじゃない人」の二人。
「ダメな人(自称)」って常に、「ダメだから、変わらなきゃ、なおさなきゃ」って思ってて、そういうことを口に出して言ったり、それ前提で生活してるんじゃないかな、って思った。私もユウコちゃんみたいな感じだった気がする。

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テラスハウスの東京編で、タレントの美咲っていう女の子と、モデルの光る(ひかる)っていう男の子がいた。光るは確かアメリカ人と日本人のハーフでした。
美咲は光るのことが好きなんですね。
そして美咲は日本の「照れ隠しからのけなし文化」をしっかり継承している平成ッ子で、とにかく口を開けば、光るをけなすわけなんです。「こういうところがダメだよね〜」とか「ちゃんとできるの〜?」みたいな感じ。
光るはそれに対してムッとしたりする。怒ることもあった。
それで光るは「キレやすいキャラ」と言われるようになってた。

その場には目に見えない前提がある。「照れ隠しで言ってるだけなんだから」「むしろ好きなんだから」「言ってるほうはいじってるだけなんだからそんなに怒らなくても」っていう前提。
その前提を汲んで、「いちいち怒りを表に出すべきではない」という前提。
確かに光るが不機嫌になると場が凍るので、怒らないでいてくれたらいいと思う。「うまく」返してくれればいいと思う。
しかし、だいたいなんで最初にけなすのか。けなすからキレる、当たり前じゃないか。レンジでチンしたらあったまる、それと同じくらい当たり前。だけど「そんなことでキレる人」が不思議がられる。美咲は「人をけなしやすいキャラ」とは言われず、光るが「キレやすいキャラ」と言われる。

美咲と光るは結局カップルにならなかった。最初は光るも美咲を好きって感じだったけど、だんだん冷ややかな感じになって美咲に告白されたけどフッていた。私は見ていて、そりゃそうだろって思った。嫌だよあんなにけなされたら。
しかし光るはフる時に「美咲のちゃんとしてないところがいやだ」みたいな変な風なことを言ってた。もしかしたら「一緒にいるとけなされてウンザリする」って言っちゃうと「またそれかい(そんなことにこだわって)」みたいな感じになるから言えないよなーって思った。「けなされることを気にする(いちいちキレる)」っていうのをあれだけ周りから指摘されまくったら、自分でももうそこに触れたくなくなるし。

美咲はその後、別の男性とカップルになってたけど、その男性のことはぜんぜんけなしてなかった気がする。
「けなす」と「キレる」の組み合わせは相性もあるのかもしれない。

***

それで、ユウコちゃんの話に戻ります。ユウコちゃんの場合はTVショーなので、わざと大きくやっているっていうのがあるけど、私は自分の過去(元彼とのやりとり)を見ているようだった。
「自分のことをダメだと必要以上に思ってる状態の人」は、「必要以上に人をけなす人」をくっつけやすい重力を持っている気がする。光るみたいにちゃんと怒らない。その相手とくっつかないという選択をしない。むしろくっつく。けなしてくる相手を「自分を成長させてくれる人」と感じてしまう。そしてその相手から日常的にけなしを最大限に引き出す。

私は、自分がその「自分をダメだと必要以上に思ってる状態」になっていたのは、小さい頃から親とか学校の先生とかけなされまくってきて、それが当たり前になってる環境に居続けたからだと思う。
(こういうのについていちいち「人のせいにするな」と言う人が少数出るが、生まれた時からそういう環境にいるっていうことを、「自分のせい」にすることのほうが不可能だし、別に「そういう環境に育つ」ということは、「誰かのせいにする」ってこととイコールではない。そもそも「『誰かのせいにする』ということは悪いことである」という概念・思い込みこそ、自分に取っても周りにとっても有害な毒である。誰かのせいなんだから、誰かのせいでいいじゃん。誰かのせいにしちゃいけない、っていう概念は、「どっちかが悪い」という考え方が未だに貼り付いてるからだよ。その考え方が苦しみの始まりなんだよ。法律とか以外のことで「どっちかが悪い」なんてことないんだよ。だからそのジャッジから抜け出すことが第一歩。抜け出すにはいったん「自分が悪いわけじゃない(あの人の・あの環境のせいだったんだ)」と思うことが必要。「誰かのせい」は単なるその一つの課程。そして、自分にとって嫌な人は、嫌ならずっと「嫌な人」のままで心の中に置いておいていいんだよ。それをわざわざ本人に言う必要はないけど。「あの人の・あの環境のせいで、今の自分はこうしてこうなったんだなあ」と思うこと、何がいけないのか分からない。むしろそう思ったほうが前進できるのになあ、って思っちゃいますね)

ユウコちゃんに自分を重ね合わせ言いたいことは、「自分も悪かったんだ」とかそういうことではもちろんない。そういう構造があるんだ、って話。
posted by tabusa at 05:22| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

嫌いな言葉

このブログで同じようなことを何度も書いてると思うんだけど、また書いちゃいます、

私は苦手な言葉がある。
・○○より私はマシ
・○○に比べたら私は恵まれてるって分かった
・○○じゃなかった私はラッキー
っていうのです。

「母がしんどい」を出してから、他の本についても、感想として主にネット上でこの○○の部分に自分のことや自分の体験を入れられることが増えた。

あと「私は、田房さんほどではない(田房さんほど親がひどくない、田房さんほどキレない)んですが」
って前置きをつけられることがすごく多いわけなのですね。まあ、そういう漫画を描いてるから仕方ないんだけど。仕方ないけど、言われると何故かとても削れるんですね、なぜか、体や心のどこかが削れる。えぐれる。
なんていうか、その前置き、いる? って思う。きっと、話す人にとっては重要なんだと思う。「ええ?あなたってこんなにひどいの?」って誰かにギョッとされることからの回避。


それから、
「幸い」って言葉がすごく嫌いになった。
「幸いなことに」「幸いにも」
っていう使い方のときの「幸い」

たいていの場合、Aっていう不幸があって、それによって引き起こされるBっていう最悪の事態から免れました、って時に使われるんですよね。「幸い」。

「Aになりました。私の場合、幸いBにはならずに済みましたが」
全体をちゃんと読んでみるとその「Bにならなかった」というのは本文の主旨には関係がない、ただの補足であることがすごく多い。
「Aになりました」だけでいいのに、「幸いなことに」「Bという状況にはなりませんでした」ってわざわざ言われると、「現時点で『B』の状態になってる人はじゃあ、不幸なのか?」って思っちゃう。
別にそういう意味じゃないんだろうけど、「幸いなことに」が入ってるおかげで、「B状態になっちゃった人よりも私は幸せです」って言ってる感じになる、気が、どうしてもする。

自分自身が「『B』の人」として、もはやその代表、みたいな感じで『B』に入れられて言われることが多い立場になったからだと思う。ネット上では、私に向かってではなくて、誰か不特定多数に向かって、「私は田房さんほどではなくてラッキーですが」という前置きをしているのを、見てしまう、っていうことがたくさんある。

困るのは、「私は父親にすごく殴られていましたが、田房さんほどではないから幸せです」という旨を面と向かって言われる時。どうしていいか分からない。私は父親に殴られたことないけど・・・とかって正直思います。

とにかくこの5年で苦手な表現、嫌い言葉が増えました 笑
「世の中にはこういう人もいるのに、そうじゃない自分は幸せだ」っていう発想自体がいやになった。

嫌になりすぎて、病気を警告するテレビ番組もすごい嫌いです。
「大変!」「危険!」「○○病にならないために!!」「○○ガンにならないために!」とか「××病の兆候を見逃さない!」とかそういうやつ。
確かに予防は大切なことだと思うけど、実際、今現在「○○ガン」とか「××病」の人もいるわけで、その人たちはこれを一体どう見てるんだろう、って思う。
しかもこれを真面目にしっかり見てた場合、自分が「○○病」になった時に、なんか自分に必要以上に怒りっていうか無駄にイラ立ちを感じそうっていうのもある。病気にかかることって、そんなに自分の体を自分でコントロール・管理して回避できることではないと思う。だからこれ系の番組は絶対見ない。

ということを、常日頃思ってたんだけど、なんかなるべく言っちゃいけない、みたいな気がしてた。自分でも、同じことを誰かに言っちゃってることがあるし。
(このあいだ自分の本「母乳がいいって絶対ですか?」を読み返したら、「ニセ母乳を買った人のニュースの話」のところで、同じようなことを書いてた。「私はニセ母乳を買わないけど、買ってしまう人の気持ちは分かる」って。
この時、このニュースのことでいろんな人に「え、気持ちは分かるってことは、田房さんももしニセ母乳が売ってたら買うってことですか?」ってギョッとした感じで聞かれたから、その前置きをつけて話していた。
それ読んだ時、ああ、私も同じことを言ってるなと思った)

と、まあ、そういう感じで、いつも、えぐれてるんです。
それで、漫画家の藤河るりさんのこのツイートの漫画(1つめの「ラッキーでした」についての漫画)を読んで、ああ〜〜!! て思いました。
https://twitter.com/shika888/status/829623487664844800
やっぱり、「ええ〜」って思ってもいいんだ、って思った。言われることが多い立場だから仕方ない、と流すことができずにいちいちショックを受けてもいいんだ、自分についてのそういう言葉を見るたび「えぐられる・・・」って感じるのは、当たり前のことなんだ、って思えました。
それが言いたかっただけ〜!
posted by tabusa at 03:49| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月05日

今期のドラマ

ツイッターに今期のドラマの感想を書いてたりしてるんだけど本当に「カルテット」が面白いな。
録画したものやTVerの動画をずっと繰り返し流しっぱなしにしたりしても飽きないし心地よさがすごいし、見る度に「あ、ここってこうなってるんだ」「ここでこんなこと言ってるな」とか発見があったりする。
去年のドラマは「逃げるは恥だが役に立つ」も面白かったけど、個人的に1位は「この恋を思い出してきっと泣いてしまう」でした。毎週超楽しみだった。この二つと同じ脚本の人のドラマ(「最高の離婚」)がネットフリックスにあったのでリアルタイムで見てたけど、もう一度全部見てしまいました。これも面白いけど、もう少し演劇臭の少ないカルテットのほうが好きだな。音楽がすごいのかな。とにかく松たか子がいいです。最高。
その人のまだ見たことないドラマ「それでも、生きてゆく」も見始めたけど、やっぱちょっと子どもが死ぬ系は無理すぎてすぐに停止しました。

そんで、今期のドラマの「スーパーサラリーマン左江内氏」のキョンキョンが恐すぎて、つらい・・・つらい・・・と思いながら見てたんだけど、妻の主張するよく分からない理由によって夫の仕事が阻害される、っていうシーンが本当に苦痛すぎて、もう、無理だ・・・って思った。
横暴な鬼嫁に侵害される弱い夫、っていうのがギャグというか笑えるポイントなんだと思うけど、過去にマジのガチでそういう経験(母や元彼の意味不明・常識外の要求により自分の生活・思考が侵害・断念させられる)がありまくる自分にとってはリアルにエピソードを思い出してしまい、途中からもうテレビ画面を見ていても内容が全く入って来ない状態に何度もなる。笑えないし不快すぎて断念した。「これが笑える人って、なんかいいな・・・」と思った。
「下克上受験」も1話見て、続けられそうだと思ったけど、主人公が「中卒はだめだ」とどうして思ったのかよく分からなくて(ちゃんとした職業に就いて実績も上げているので)、予告で子どもの受験のために無職になった、みたいなのが「ウウウ・・・」ってなった。

書いてない他のドラマもたくさん見ています とにかく断トツが「カルテット」。カルテットとコラボのはらドーナツが食べたい!
posted by tabusa at 20:30| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする