2017年02月10日

嫌いな言葉

このブログで同じようなことを何度も書いてると思うんだけど、また書いちゃいます、

私は苦手な言葉がある。
・○○より私はマシ
・○○に比べたら私は恵まれてるって分かった
・○○じゃなかった私はラッキー
っていうのです。

「母がしんどい」を出してから、他の本についても、感想として主にネット上でこの○○の部分に自分のことや自分の体験を入れられることが増えた。

あと「私は、田房さんほどではない(田房さんほど親がひどくない、田房さんほどキレない)んですが」
って前置きをつけられることがすごく多いわけなのですね。まあ、そういう漫画を描いてるから仕方ないんだけど。仕方ないけど、言われると何故かとても削れるんですね、なぜか、体や心のどこかが削れる。えぐれる。
なんていうか、その前置き、いる? って思う。きっと、話す人にとっては重要なんだと思う。「ええ?あなたってこんなにひどいの?」って誰かにギョッとされることからの回避。


それから、
「幸い」って言葉がすごく嫌いになった。
「幸いなことに」「幸いにも」
っていう使い方のときの「幸い」

たいていの場合、Aっていう不幸があって、それによって引き起こされるBっていう最悪の事態から免れました、って時に使われるんですよね。「幸い」。

「Aになりました。私の場合、幸いBにはならずに済みましたが」
全体をちゃんと読んでみるとその「Bにならなかった」というのは本文の主旨には関係がない、ただの補足であることがすごく多い。
「Aになりました」だけでいいのに、「幸いなことに」「Bという状況にはなりませんでした」ってわざわざ言われると、「現時点で『B』の状態になってる人はじゃあ、不幸なのか?」って思っちゃう。
別にそういう意味じゃないんだろうけど、「幸いなことに」が入ってるおかげで、「B状態になっちゃった人よりも私は幸せです」って言ってる感じになる、気が、どうしてもする。

自分自身が「『B』の人」として、もはやその代表、みたいな感じで『B』に入れられて言われることが多い立場になったからだと思う。ネット上では、私に向かってではなくて、誰か不特定多数に向かって、「私は田房さんほどではなくてラッキーですが」という前置きをしているのを、見てしまう、っていうことがたくさんある。

困るのは、「私は父親にすごく殴られていましたが、田房さんほどではないから幸せです」という旨を面と向かって言われる時。どうしていいか分からない。私は父親に殴られたことないけど・・・とかって正直思います。

とにかくこの5年で苦手な表現、嫌い言葉が増えました 笑
「世の中にはこういう人もいるのに、そうじゃない自分は幸せだ」っていう発想自体がいやになった。

嫌になりすぎて、病気を警告するテレビ番組もすごい嫌いです。
「大変!」「危険!」「○○病にならないために!!」「○○ガンにならないために!」とか「××病の兆候を見逃さない!」とかそういうやつ。
確かに予防は大切なことだと思うけど、実際、今現在「○○ガン」とか「××病」の人もいるわけで、その人たちはこれを一体どう見てるんだろう、って思う。
しかもこれを真面目にしっかり見てた場合、自分が「○○病」になった時に、なんか自分に必要以上に怒りっていうか無駄にイラ立ちを感じそうっていうのもある。病気にかかることって、そんなに自分の体を自分でコントロール・管理して回避できることではないと思う。だからこれ系の番組は絶対見ない。

ということを、常日頃思ってたんだけど、なんかなるべく言っちゃいけない、みたいな気がしてた。自分でも、同じことを誰かに言っちゃってることがあるし。
(このあいだ自分の本「母乳がいいって絶対ですか?」を読み返したら、「ニセ母乳を買った人のニュースの話」のところで、同じようなことを書いてた。「私はニセ母乳を買わないけど、買ってしまう人の気持ちは分かる」って。
この時、このニュースのことでいろんな人に「え、気持ちは分かるってことは、田房さんももしニセ母乳が売ってたら買うってことですか?」ってギョッとした感じで聞かれたから、その前置きをつけて話していた。
それ読んだ時、ああ、私も同じことを言ってるなと思った)

と、まあ、そういう感じで、いつも、えぐれてるんです。
それで、漫画家の藤河るりさんのこのツイートの漫画(1つめの「ラッキーでした」についての漫画)を読んで、ああ〜〜!! て思いました。
https://twitter.com/shika888/status/829623487664844800
やっぱり、「ええ〜」って思ってもいいんだ、って思った。言われることが多い立場だから仕方ない、と流すことができずにいちいちショックを受けてもいいんだ、自分についてのそういう言葉を見るたび「えぐられる・・・」って感じるのは、当たり前のことなんだ、って思えました。
それが言いたかっただけ〜!
posted by tabusa at 03:49| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月05日

今期のドラマ

ツイッターに今期のドラマの感想を書いてたりしてるんだけど本当に「カルテット」が面白いな。
録画したものやTVerの動画をずっと繰り返し流しっぱなしにしたりしても飽きないし心地よさがすごいし、見る度に「あ、ここってこうなってるんだ」「ここでこんなこと言ってるな」とか発見があったりする。
去年のドラマは「逃げるは恥だが役に立つ」も面白かったけど、個人的に1位は「この恋を思い出してきっと泣いてしまう」でした。毎週超楽しみだった。この二つと同じ脚本の人のドラマ(「最高の離婚」)がネットフリックスにあったのでリアルタイムで見てたけど、もう一度全部見てしまいました。これも面白いけど、もう少し演劇臭の少ないカルテットのほうが好きだな。音楽がすごいのかな。とにかく松たか子がいいです。最高。
その人のまだ見たことないドラマ「それでも、生きてゆく」も見始めたけど、やっぱちょっと子どもが死ぬ系は無理すぎてすぐに停止しました。

そんで、今期のドラマの「スーパーサラリーマン左江内氏」のキョンキョンが恐すぎて、つらい・・・つらい・・・と思いながら見てたんだけど、妻の主張するよく分からない理由によって夫の仕事が阻害される、っていうシーンが本当に苦痛すぎて、もう、無理だ・・・って思った。
横暴な鬼嫁に侵害される弱い夫、っていうのがギャグというか笑えるポイントなんだと思うけど、過去にマジのガチでそういう経験(母や元彼の意味不明・常識外の要求により自分の生活・思考が侵害・断念させられる)がありまくる自分にとってはリアルにエピソードを思い出してしまい、途中からもうテレビ画面を見ていても内容が全く入って来ない状態に何度もなる。笑えないし不快すぎて断念した。「これが笑える人って、なんかいいな・・・」と思った。
「下克上受験」も1話見て、続けられそうだと思ったけど、主人公が「中卒はだめだ」とどうして思ったのかよく分からなくて(ちゃんとした職業に就いて実績も上げているので)、予告で子どもの受験のために無職になった、みたいなのが「ウウウ・・・」ってなった。

書いてない他のドラマもたくさん見ています とにかく断トツが「カルテット」。カルテットとコラボのはらドーナツが食べたい!
posted by tabusa at 20:30| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月29日

無駄な時間

子どもが「これ、こうしたんだよ〜」とか言ってきて「ほんとだ〜 そうしたんだね〜」とかみたいなどうでもいい会話をしている時、200回に1回くらい、
「ああ、こういう時、母は、叔母は、いちいち私に『アンタはどうせ、こうでしょう笑』って嫌な気分になることを言ってきたりしたなあ」と思うことがある。
例えば、私がしたことで、AとBのやり方があったとして、私が「Aでやった」と言ったら、「Bでやればいいのに ばかねえ」とかそういう感じ。AでもBでもどっちでもどうでもいいようなことであっても、「あんたはダメだ」という結論に持って行く。
母も叔母も、すべての会話をそれで返してくるわけではなくて、そのまま「そうなんだ」と言ったり褒めたりてくれることもあったと思うけど、そういうイヤミを言う時もあった。
おばあちゃんはそれを私にはほとんどやらなかったけど、自分の娘たち(母と叔母)には逐一やっていた。


大人が子どもを相手にそういう言動をする、というのは、私の育った家庭だけではなくて、日本中に溢れてる。ドラマやアニメでよく見るし、一番分かりやすいのはジブリの「おもひでぽろぽろ」。あれは家族がずっと罵り合う(特に主人公に対しての姉たちがひどい)映画だ。
相手が自分より幼いと、そういうことが言いやすいんだとは思う。

私はそういうのが嫌で、そういう世界から離れることをここ数年頑張ってきた。自分の娘に1ミリも意地悪なことを言っていない、とは全く思ってないけど、ああいう言動を思い出すと、どうして人と話している時にそんなイヤミな発想が真っ先に出てきて、さらに口に出してしまうのか、よく分からないなって思う。
ああいうのは、方言とか訛りとかと同じで、単純に伝染るものなんじゃないかと思う。だからそういうことをどうしても言ってしまう人というのは、自分も日常的に言われているという環境に必ずいると思う。それか、過去に言われる環境に居続けていて、その「返し」しか知らない、癖として体に染み込んでしまっている、んだと思う。やめるには「やめる」と意識しないと無理だと思う。
つまり「言ってやろう」とか思う前に口から出ている。自分では全くの無自覚。だから相手がそれで不機嫌になったり怒ったりすると「そんなささいなことで怒るなんて」とか「間違ったことは言ってない」と主張する。相手は自分より“下”の存在だから、それで丸め込める。自分が、相手を貶めるようなイヤミを言ってるということに気づいてないから、怒る相手に謝れるはずがない。
そのことにより無駄な、本当に無駄な、生活上に一切不必要な諍いやイライラ気まずさが生まれる。123で進むことが、12345678910くらいかかった上に、45678あたりでは感情や心がグッチャグチャに潰されるような時間が流れる。
あんな時間を過ごすなら、ネットのどうでもいいまとめサイトをボ〜ッと眺めてるほうがまだマシだなって思う。それくらい、私はあの、家族間の、罵る必要なんて全くないのに無自覚に無意識に罵るというつまらない時間 を憎んでるんじゃないかと思う。
posted by tabusa at 15:48| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする