2016年10月03日

不毛のエピソード返しッ

うちも毒親だけどこの本に出てくる母親ほどではない
この本に出てくる親ほどじゃない

ってずーーーーーーーっと言われると、けっこうきついです
職業柄、仕方ないけど。
仕方ないんだけど、きついです。
いつも流してるつもりけど、たまに、こうやって、「きついです」って言いたくなります。
そういうことをネットで書いてる人の、その人の親子エピソード読むと、「え、うちそこまでじゃない」って思うんですけど、って思う。

私が本に書いてるのは出来事の一端であり、私の本とかを読んで「この人ほどではない」ってしきりに言う人というのは、私のエピソードに注目してるわけです。
エピソードに注目されると、こっちもその人のエピソードに注目してしまうんです。
不思議と。

私の悲惨なエピソードに対して「私はそこまでのことはなかったんですけど」「うちの親はあなたの親よりは正常なんですけど」ってしつこくしつこく言われると、別にうちの親もすごく正常な人ですよ、って思います。事実、正常でマトモに社会生活を送ってる人たちだし。
そういう人が、子どもの前になると、自分の『膜』を発動させてしまう、しわ寄せを子どもだけに向けてしまうことについてを、私は書いてるつもりです。それってすごく大きい問題なのに、他人から見て正常な親だからこそ問題化されない、子ども自身も問題化しづらい、できない、そういうこと。

だから、「親のやっていることのひどさ」は、私が今まで書いてきた本のテーマではないんです。
そこぶっちゃけ、どうでもいいんです。
そこに注目して自分の行動や思考を判定し始めると、「ひどさ」の比較になっていって、あんたのとこはそんなにひどくないから悩む必要ないとか、他人のことも判定せざるを得なくなっていくんです。それって、今まで自分の苦しみを問題化できなかった要因(「親に育ててもらったんだからくよくよ悩むな」等の世間によくある概念)を自分自身から再び生み出すという行為であり、本末転倒なんです。

そういうことではない。起った現象に対して、自分がどう感じているのか、大人になった自分の生活にどう影響してるのか、そこに注目することが大事だと私は思ってる。

私の本を読んで「うちの親はここまでじゃないから、うちには問題がない」って思うのは自由だと思うし、私がどうこう言う範疇じゃないけど、ネット上で、一方的に言われると、どうしていいか分からない時があるね。
いま、そんな時が訪れたので書きました。
posted by tabusa at 09:29| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする