2017年03月06日

ポエム

欲しいものを「欲しい」と思えること
言えること
伝えられること
伝わること

相手が「欲しい」と思っているものを
あげること
あげられること
聞けること
聞き入れられること

相手が一方的に思う「『あげたい』モノ」
ばかりもらっていると
疲れてしまう

「何が欲しい?」「何か必要なモノある?」「何か欲しいものある?」
とは聞いてくれない相手といつもいっしょにいると
それだけで
自分の欲しいものがなんなのか
わからなくなってしまうことがある

「これが欲しい」と言っても
黙って無視されたり
「あなたにはそんなモノ必要ない」と決めつけられたり
「欲しいなら自分で用意しな」と拒否されると
それだけで
実は人は
弱ってしまう

そういうことに
わたしはきづいた
posted by tabusa at 19:23| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月05日

親の業

子どもに対する、自分の態度。
よくないな〜 って思う時がある。

そんなふうにしたって、お互いによくないのにな〜 
って頭でわかってるけど、なんか体が疲れちゃってるときとか、丁寧に接することをさぼってしまうときがある。
たいていそういう時って、なんか、私はただしくてあなたがいうことをきかない って構図になってしまう。

まったくぜんぜんそんなことないのに。子どもわるくないのに、「わるい」みたいな感じになってしまう。

そういう構図になってしまうパターン、家から追い出したいな〜〜〜

あとほんと、親ってそういう主導権を握りやすいっていうか、まず最初から握ってるんだけども、握ってるくせに「主導権を持っているのはお前のほうだ」と子どもをだますこともできるし、そこまでの主導権を持っちゃってるな〜 って思う。すごいことだなーって。産んだだけで親になっただけで、一人の人間に対してそんな強力な権利を所持することができるって、親になるって、とんでもないことだなと思う。
その権力をどう自覚してどう行使するのか、それをどう考え捉えるのか、そのためにどう自分を鍛錬するのか、そこが親の醍醐味って感じする。今のところ、楽しいです。
posted by tabusa at 07:09| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アイデンティティ

今はまったく珍しくないが、昔は珍しかったモッツアレラチーズを使ったパスタとか、チーズフォンデュとか食ってました。子どもの頃。
母にはこだわりがあり、今は普通にどこのスーパーでも売ってるけど、ディチェコの麺を使ってた。マ・マーは美味しくない、本場の味じゃない、っていう感じ。「本格」に重きがおかれていた。
そういった外国の料理は、母自身のアイデンティティそのものだった。

それが家庭内に強烈に漂っていた。
だから私もそれが染み込んでいて(母の虚構に取り込まれていて)、外食で食べるスパゲッティーの日本風な感じが許せず、おいしいと思えないっていうのがあったりした。
そういうこだわりを持つ自分、を感じると、陶酔状態になるような感覚があった。その陶酔状態は、本格料理についての母の態度そのものだった。
(分かるかな、この感じ。分かる人には分かると思う)

だからパスタは絶対にディチェコでした。
ずっとディチェコ。

だけど、なんか結婚してから夫がマ・マーを買ってきたことがあったか、なんでか分からないけど、マ・マーを食べる機会がありました。
ずっと、無意識に、バカにし続けてきた、マ・マー。絶対に食べることはないと思っていたマ・マー。

マ・マーが、めっちゃ旨かったんですね。ビックリした。
何年かディチェコ食わされてた夫も、「あれ、マ・マーって美味いね」みたいになった。

それからまた何年か経って、他のメーカーもいろいろ試してみて、最終的に「やっぱマ・マーが一番美味いね、飛び抜けて美味いね」という結論がこないだ出ました。

なんかそれが嬉しかった。美味しいものが夫と一致したのもうれしいし、うちはマ・マーでやってくぞ。そういう感じが。もとの家庭と、今の自分の家庭が別物だ、という実感を、物理的に感じられたからかもしれないです。
posted by tabusa at 06:58| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする