2017年01月09日

『窓』

この記事を見て、親族間の風通しの良さに驚いた。
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父の理不尽な怒りっぽさを妹が親戚前でパワポでプレゼン 発想&実行力がTwitterで称賛浴びる - ねとらぼhttp://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1701/06/news129.html
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この妹さんは小学6年生という。
すごいなあ〜 理路整然とまとめられる個人の能力もすんごいし、親族の前で発表できる(そうじゃないと意味が無いと考えられる・実行できる)、ってすごいなあ。

家族の誰でもが、『窓』を自由に開けられるってすごいことだな。小学6年生の次女(次女かどうか分からないけど)も窓を開ける権利を持っているってことが。
家によっては、窓があっても「お前は勝手に開けるな(子どもだから)」と言われていたりする。鍵を、家族の中で自分だけ持たされてないから物理的に開けられないってこともある。「どうして私は開けちゃいけないの?」と聞いても、「ダメだからダメ」と言われるだけで説明もしてもらえなかったりする。
窓がそこにあることを知らない、ってこともある。生まれた時から窓の前にタンスが置かれていたりして。
大人になってからふと家を見て、あんなところに窓があったんだ・・・と気づいたりする。家の中のタンスをどかして窓を開けてみたとしても、もうその時には自分は家の外に生活を持っているから、特に意味のないことだったりする。
家から出られない、子どもの時こそ、『窓』の存在がすごく大事なんだな。大人は無意識で開けっ放しにしていることもあれば、無意識に閉じて窓の存在を隠してしまうこともある。
この記事の妹さんが、自分で窓を開けられる環境にあったのか、無理矢理に割ったのかわかんないけど、子どもが開けてくれるってありがたいことだなと思った。

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お正月、たまたま出初め式みたいなのやってて、見てた。
↓ こういうやつ(これはネットから拾ったイメージ画像です)
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こういうのって、わざとグラッとして「落ちる!」みたいなのあるじゃないですか。
その「落ちる!」の演技がめっちゃ上手い人がいて、その瞬間、私の心臓がキュルンッ!!といつもにはない動きで半回転みたいになった。その心臓の反応にビビってしまいました。だ、大丈夫か・・・って。
なんか、昔、自分にイヤなこと言ってくる人と一緒に住んでいる頃(0〜22歳までと22歳〜26歳まで)って、このキュルンッ!!が日常だったな、って思い出した。
その本人と一緒にいなくても、常にキュルンッ!!がある。自分が何か失敗した時キュルンッ!!ってなるし、失敗したかもしれないと妄想するだけでキュルンッ!!ってなるし、26歳以降ももうその人と住んでないのにキュルンッ!!だけは残ってた。
29歳の時、その人と意識的に縁を切ろう(その人のことを肯定するために自分を否定することをやめよう)って決めてから、だんだんキュルンッ!!がなくなってきた。
キュルンッ!!があることが、私の性質というか性格というか、人間が生きる上でキュルンッ!!は普通のことだと思っていた。だけど、キュルンッ!!のない穏やかな生活があるんだ・・・って知った時、本当に衝撃だった。
キュルンッ!!の自然持続は体によくないと思う。私は、背中がいつも痛かった。
posted by tabusa at 13:38| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月05日

「納得」漫画とイベントのお知らせ

漫画 いまなら無料で読めます

ぜひとも読んで下さいっ!!!

「納得」についての漫画です。

母は嫌いで、娘は好きなもの(後編)
https://cakes.mu/posts/14945


こっちも漫画です。無料で読めます。最新話(4話)更新です

「頭からの圧」から解放されて見えたもの
http://blog.bookpeople.jp/angai/

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どっちの漫画も、テーマは「納得」ですね。「キレる私をやめたい」も、要は「納得」がテーマです。

今度、1/24、マドレボニータの吉田紫磨子さんとトークイベントします。こないだ、イベントは今年からしばらくやらないって書いたけど、今度こそほんとにこれで最後です。
イベントの詳細・予約はこちら→ https://gociao.jp/events/2358

紫磨子さんは、キレることは悪いことはじゃない って言ってます。
私は、「キレること」はすごくダメなことで直さなきゃいけなくて、人に迷惑をかけることだとずっと思ってました。それがキレることがほぼ消滅して、「キレる私をやめたい」を書いて、本が出て半年経って、この半年で、考えがまた少しずつ変わってきました。
私が漫画で描いた「キレる」は、パニックを起こすっていうこと。それが唯一の表現手段になってしまうことは、他人も自分も傷つける。
だけど、「キレる」こと、パニックになっているっていうこと、それが表面化するってこと自体は、そんなに悪いことじゃないって、私も思うようになりました。
(1月24日はそういうことを話すと思います)

特に子どもの「癇癪」はとても有益なものだと思うようになった。最近、だけど。
子どもの癇癪は、いろいろな意味がある。SOSの時もあるし、こちらへの意見・提案でもあるし、「好きなこと・やりたいことはこれである」という表明の時もある。
子どもに対しての自分の日頃の対応を振り返るチャンスだったり、子どもがどういう方向に進みたいって思ってるのかなあ、って思いを馳せられる楽しいヒントだったり、自分と子どもは違う人間なんだって確認できる機会だったりする。癇癪に対して上手く対応できるかどうかはまた別の話だけれども、「癇癪」自体が悪いもの、っていう概念が自分の中からなくなると、すごく余裕ができて楽しい。ような気がしてる。
そんで、自分の子以外の子どもの「癇癪」も、どんな意味があるんだろう、ってワクワクして見ることができて、これまた楽しい。(まあ、まだ幼児だし)

っていうことを思ってた昨日、この記事を読んだ。

完璧すぎる嫁〜自分の居場所がなくなる時・同居介護の難しさ〜
http://blogos.com/article/204331/

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Aさんが、夫の言動に怒って枕を投げた。
それにビックリしたお嫁さんが「この件に関して家族で話し合って、振り返りをしないといけない」って、ケアマネージャーに言う。
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Aさんの癇癪で、家族が動き出すんだよね。お嫁さんがちゃんと「振り返る」ことに取り組むのが、すごいいいな〜〜って思った。相談できる相手もいるのもいいし。

でもこういうケースってすごく珍しいような気がします。
私はこういう、老人介護とかよく分かんないからそれに対しては何も言えないけど、これ、Aさんが「子ども」の場合っていうのもすごくあると思う。
一生懸命やってるお母さんに何も言えなくて、「いい子」でいることを自分もがんばってるんだけど、ある日爆発してしまうってこと。
それか、日々爆発する(癇癪を起こす)ことでそのメッセージを発信したりって、よくある。
だけど、親って「子どもの癇癪」ってことで片づけることができちゃう。このAさんのお嫁さんみたいに「どうしてお義母さんがこんな行動を?」って家族の姿を振り返ったりすることなく、「この子はわがままだから」とか「この子はいつもこうすればいいと思ってる」とか、ヒドイ言葉でその子自身の性質の問題として片づけて終わらせてしまう。そういうことってたくさんあると思う。

なんか知んないけど、育児してる大人たちの間では、「この子はこういう子」とか「こういうタイプ」みたいなのはすごく語られるし速攻で決めつけて話が進むけど、「親の私はこういうタイプ」みたいな話があまりない。
性格なんて移り変わるものだと思う。性格っていうとあれだけど、結局、日常で目にしているのは相手の「表面化している態度」の部分だけだから、そんなもんはその人の一部であって、親自身も移り変わっているものだと思う。
だから親の態度でその子どもがそうなってるだけかもしれないのに、子どもの性質はもとから揺るがないもので、親がそれに振り回されている、みたいな概念になっている。

その概念がベッタリ貼り付いたままだと、Aさんのお嫁さんみたいに「振り返る」って発想ができないと思う。だって、子どもが「癇癪持ち」であるってことで、家庭内が落ち着いてしまっているってことだから。つまり、親がそれで「納得」しているってこと。

親のその「納得」に、子どもは「納得できない!」と癇癪によってメッセージを送る。
だけど一度「納得」したものから動くっていうのが、難しい状況っていうのがある。
それはどういう状況か。
親自身が、「納得できない」という立場にいる時。
簡単に言うと、親自身が、その親から「ダメな子」「癇癪持ち」とか言われたりレッテルを貼られてる状況に居続けているということ。実際に親と関わりがあって直接日常的に言われているという場合もあると思うし、直接言われたり会ったりする状況になくても「納得できない」って思いを抱え続けているままだと、自分の子の「納得できない」に対して柔軟な対応がとれるわけがない。自分が納得できないのに、それより下の立場の人の納得を与えられるわけがない。これは仕方が無い。
「納得できない」は感染・連鎖する。

感染を断つには、自分自身の「納得できない状況」から脱する必要がある。ウイルスがいる場所にずっといたら、感染し続けるのは当たり前である。

虐待の連鎖 って、さも、そういう血液があるみたいな話になる。そういうことをする体質があって、もう血縁の問題だから、逃れられない宿命、みたいな感じ。
私はそんなことはないと思ってる。虐待とか毒親とか意地悪、「納得できない」の連鎖っていうのは、遺伝性ではなくてウイルス性だと思ってる。思ってるっていうか実感してる。
暴力・凶暴性・意地悪は簡単に感染する。
水木しげる先生の戦争漫画にも、出てくる。兵隊達の暴力性を養うために、上の人たちが、ビビビンと意味なくビンタするって話。戦争は連鎖・感染の原理を使っていたんだ、って分かる。
自分の血液に怯えたり、他人の血液を蔑むよりも、それを知っていたほうが有益だと思う。
posted by tabusa at 06:30| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする