2017年01月29日

無駄な時間

子どもが「これ、こうしたんだよ〜」とか言ってきて「ほんとだ〜 そうしたんだね〜」とかみたいなどうでもいい会話をしている時、200回に1回くらい、
「ああ、こういう時、母は、叔母は、いちいち私に『アンタはどうせ、こうでしょう笑』って嫌な気分になることを言ってきたりしたなあ」と思うことがある。
例えば、私がしたことで、AとBのやり方があったとして、私が「Aでやった」と言ったら、「Bでやればいいのに ばかねえ」とかそういう感じ。AでもBでもどっちでもどうでもいいようなことであっても、「あんたはダメだ」という結論に持って行く。
母も叔母も、すべての会話をそれで返してくるわけではなくて、そのまま「そうなんだ」と言ったり褒めたりてくれることもあったと思うけど、そういうイヤミを言う時もあった。
おばあちゃんはそれを私にはほとんどやらなかったけど、自分の娘たち(母と叔母)には逐一やっていた。


大人が子どもを相手にそういう言動をする、というのは、私の育った家庭だけではなくて、日本中に溢れてる。ドラマやアニメでよく見るし、一番分かりやすいのはジブリの「おもひでぽろぽろ」。あれは家族がずっと罵り合う(特に主人公に対しての姉たちがひどい)映画だ。
相手が自分より幼いと、そういうことが言いやすいんだとは思う。

私はそういうのが嫌で、そういう世界から離れることをここ数年頑張ってきた。自分の娘に1ミリも意地悪なことを言っていない、とは全く思ってないけど、ああいう言動を思い出すと、どうして人と話している時にそんなイヤミな発想が真っ先に出てきて、さらに口に出してしまうのか、よく分からないなって思う。
ああいうのは、方言とか訛りとかと同じで、単純に伝染るものなんじゃないかと思う。だからそういうことをどうしても言ってしまう人というのは、自分も日常的に言われているという環境に必ずいると思う。それか、過去に言われる環境に居続けていて、その「返し」しか知らない、癖として体に染み込んでしまっている、んだと思う。やめるには「やめる」と意識しないと無理だと思う。
つまり「言ってやろう」とか思う前に口から出ている。自分では全くの無自覚。だから相手がそれで不機嫌になったり怒ったりすると「そんなささいなことで怒るなんて」とか「間違ったことは言ってない」と主張する。相手は自分より“下”の存在だから、それで丸め込める。自分が、相手を貶めるようなイヤミを言ってるということに気づいてないから、怒る相手に謝れるはずがない。
そのことにより無駄な、本当に無駄な、生活上に一切不必要な諍いやイライラ気まずさが生まれる。123で進むことが、12345678910くらいかかった上に、45678あたりでは感情や心がグッチャグチャに潰されるような時間が流れる。
あんな時間を過ごすなら、ネットのどうでもいいまとめサイトをボ〜ッと眺めてるほうがまだマシだなって思う。それくらい、私はあの、家族間の、罵る必要なんて全くないのに無自覚に無意識に罵るというつまらない時間 を憎んでるんじゃないかと思う。
posted by tabusa at 15:48| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月26日

ありがとうございました

「キレる私をやめたい〜夫をグーで殴る妻をやめるまで〜」
に登場する岡田法悦さんのインタビュー記事です。全3回のうちの第一回。
このブランシュシュで私もインタビューしていただいたので、こんど載る予定です。

http://www.blanchechou.com/interview/gestalt-01/

岡田さんが感情を感じられなかった っていうのは意外だな〜!
2回目3回目も楽しみ。

ゲシュタルトセラピーについては、「呪詛抜きダイエット」にも書いたけど、「キレる〜」には岡田さんの名前を書いたので、より検索して行きやすくなったのか、読んでくださった人から「ゲシュタルトセラピーに行ってみました」と聞いたり、ゲシュタルトのファシリテーターの人から「田房さんの本を見て来た、という人がすごく増えた」と聞くことがめっちゃ増えました。

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1/24のマドレボニータの吉田紫磨子さんとのトークイベントも無事おわりました。来てくださったみなさん、あたたかいメッセージ(感想アンケート)を本当にどうもありがとうございました!

サインの時に、「ネットでは怖そうな人だと思ってたけど、実際に会ったらやわらかい印象で驚きました」って何人かの人に言われました。ネットでは怖そうだけどやわらかい印象 というのはよく言われます。だけど大阪のイベントで、「気持ち悪い人だろうと思い込んでけど、気持ち悪くなかったです」って面と向かって言ってくれた人がいて、ビックリしました 笑
 
posted by tabusa at 05:13| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月16日

風呂敷に包んで持って帰ってよい

最近ネットで見た、発達障害の人への対応の仕方についての記事。
(探したけど、見つかりませんでした・・・)

一体どんな対応をするんだろう、って見てみたら、『普通のこと』だったので拍子抜けした。
発達障害を持つ子どもに「早く帰るよ!」って言うだけでは癇癪を起こす、だから「こういう理由があってもう帰らないといけないんだ、帰ったほうがいいことがあるんだ」みたいな説明をちゃんとする、みたいなことが書いてありました。

発達障害を持つ大人の人への対応も書いてあって、「お昼ご飯はみんなで食べるほうがいいだろう!」と思った人が誘うけど本人は「話すことがなくてつらい・・・」とストレスを溜めていることがあるので、「あの人は一人でいることも大切な人なんだ」と理解しましょう、みたいな内容でした。

すごく分かりやすいサイトだったけど、
発達障害とか関係なく、これって人付き合いの上で、本当は当たり前のことだよね。
いかに、“発達障害じゃないとされてる人たち”が、相手の思い込みや決めつけを「好意(この人に悪気はないのだから)」として頭で変換して解釈し、自分の気持ちや気分よりも、その状況を優先させているか、ってことがよく分かった。


そんで、最近よく思い出すことがある。
中高生くらいの頃、私が学校とかで何かモヤモヤする出来事があって、家に帰って母に相談というか、話すんです。そうすると、母はこう言った。
「そういう嫌な気持ちっていうのはね、家に持って帰らないの。エイコちゃんがやっていることはね、『ああ、嫌だな』と思った時にそれを心の中にある風呂敷に包んでいるの。そして大切にそれを家に持って帰って、わざわざ家の中でその風呂敷を開けているようなものなのよ。だから、その風呂敷ごと、外に置いてきちゃいなさい」

母はこの表現が気に入っているようで、いつも優しい笑顔で言ってくるのでした。
私もすごく納得して、「そうだなあ、その通りだな」と思ってた。

でも、ぜんぜん出来ないんだよねそれ。風呂敷置いて来れない。
言ってる当の本人が、ぜんぜん置いてこれてなくて、家でモヤモヤした気持ちをめっちゃ私に話してくるし。笑
「お母さんが風呂敷置いてきてないじゃん」って直接言ったことも何度もある記憶がある。それとこれとは違う、みたいなことを言い返されてた記憶。

この、「風呂敷に包んで持って帰らない」っていうのは、一緒に住んでいる人にとっては理想だよね。一緒に住んでる人の愚痴を聞きたくないから、「持って帰らないで」って言ってそれで解決すれば一番いいですよね。

この、「愚痴を家に持って帰らない」は、普通に一般的に言われてることで、つまり忘れてしまえ、ってことだよね。そのためにお酒飲んだりする、っていう対応もあると思う。

無理なんだよ。無理。「持って帰らない」って決めて実行するなんて無理。気になってしまうことなんだから、気になっていていいんだよ。
例えば、ぜんぜん一緒にお昼食べたくない人が、良かれと思ってる風にランチに毎日誘ってきて、なんか断れなくて、それで毎日モヤモヤしてるとします。それを家に持って帰っていいんだよ。持って帰るべきなんだよ。そこで「持って帰ってはいけない」と思うことは、苦しみを更に増やしてるんだよね。
持って帰って、自分のモヤモヤを見つめてあげて、注目してあげて、「どんな気持ち?」って語りかけてあげる、それが大事。だって、日中はその気持ちを無視しなきゃいけないから。フォローしてあげないと。

例えば、夫の実家に妻が行った時、妻がニコニコしてるからいいんだと思って自分もリラックスしてたら、家に帰ってきてあーだこーだ!って文句言ってきたとする。もっとこうしてほしい!私はこんなことしたくなかった!って言ってきたとする。その時に、夫が「そんなこと言うんじゃねえよ!」「嫁だったら我慢してろよ!」とか言って、その気持ちをないことにしろ、って要求したとする。それか、妻に大量の酒を飲ませて黙らせたりしたとする。
それを繰り返すうちに妻は諦めて何も言わなくなったり、いきなりいなくなったりする。
不満の声が出てきた時に、それに向き合えるかどうか、がとても大切だと思う。

自分のモヤモヤは、自分からの不満の声だから、とってもありがたいことなんだよね。
その気持ちを聞いてあげるだけでも、いいと思う。
その人とランチを一緒に食べなきゃいけないという「状況」は変わらなくても、自分の気持ちは切り替わるかもしれないし、それによって「状況」も好転する機会もなくはない。
posted by tabusa at 09:47| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする