豊田真由子氏の騒動、最初はネットニュースの見出しだけ見て、その音声、絶対聞きたくないなーって思った。だけどネットで私が描いた「キレる私をやめたい」を引き合いに豊田氏の音声について書いてあるのをいくつか見て、聞いてみようと思いました。
ちなみにコレです↓
発売中のコミックエッセイです
キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~ (BAMBOO ESSAY SELECTION) - 第1話(せっかく作った野菜ジュースを自分でぶちまける)試し読み
http://sukupara.jp/plus/mag_detail.php?manga_id=80&story_id=989豊田真由子氏の気持ちが分かる、とかって言いたいわけではなく、擁護とかでもなく、本当の豊田氏の気持ちは私には分からないけど、報道を見た私の個人的感想を書きたいと思います。
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あの音声を初めて聞いた瞬間、「ああ、これか」って思いましたよね。
このハゲーーーーー!!!ちーがーうーだーろー!
のところとか、ああ、うんうん、って思いました。
破裂する音、声だよね。
秘書の人は、弱々しい声ながらも、「失敗を訂正する」というこれからの行動について確認をしているんだけど、それに対して「私を傷つけるな」と絶叫する。噛み合ってない。会話としても、テンションとしてもおかしすぎる、両者はそれぞれ異次元にいる。
実際、異次元にいるんだと思う。豊田さんは。この時。
秘書に対して言ってるけど、本当は秘書に対して言ってない。
常にパツンパツンになっている豊田さんの体内にある風船が、車の中とか、秘書と二人きりとかの時に、ちょっとの拍子で破裂してしまう状態なんじゃないかと思う。
私には、怒号じゃなくて悲鳴、罵声じゃなくて哀願に聞こえた。
子どもの悲鳴に聞こえた。自分の思い通りにいかなくて泣いてる子ども、ではなくて、自由を奪われて命を取られるみたいな非常状態にいる子どもの声、という感じ。
状況として、もう失敗はしちゃったわけだし、その失敗した秘書に対しての怒りを表すことは人間として普通だと思う。だけど大きな声出して車の中で叫ぶ必要はないわけで、怒るにしてももうちょっといろいろあるのに、こんな一番ヤバい方法でしかできない、しかもそれが日常だったわけだからこうしてテープに録られてしまう。
私は「キレる私をやめたい」で「キレる」行為というのは、「怒り」というよりも、パニック状態なんだと思う、ということを書いた。
釣り上げられた魚が、船の床の上でビチビチと跳ねる感じ。
7日生きて力尽き、コンクリートの上でひっくり返った蝉が、少しの風に反応してブババババと暴れる感じ。
私は、キレる、はこの、「死」の間際にいる生き物が起こす反応である、それが一つあると思ってます。
キレる人っていうのはたいがい体は健康なわけです。
だからそういう人が自分の「死」を予感して怖くなってパニクる、というのは意味が分からないかもしれないが、キレやすい人というのは、本人にとっては「死」がいつも横にいる、そういう感じなんですね。心理的に。
例えば、「キレる私をやめたい」で描いた、私のこと。
私はずっと、「ダメ出し」をされるとものすごく反応してしまっていた。私の中で、「ダメ出しされる=相手が私を否定している=私には価値がない=地球から追い出される(つまり死を意味する)」というような回路ができていたんですね。
これだけ見てもなんでそうなるの、と意味が分からないと思うんだけど、とにかくそうなってた(詳しくは是非「キレる私をやめたい」をお読みください!)。
自分がした失敗もとにかく許せなかった。「失敗=地球から追い出される」だから。どうして、自分が自分を死に追い込むようなことをするのか、理解できなくてパニックになる。
私は、夫に対してキレまくって暴れたりしていたけれど、それは充分にオカシい行動でヤバい人だったのだが、私がオカシかったのは、その、「日常が『死』に直結する回路」が体の中にできていた、というところです。
『死』を予感してパニックになってそれに対して反応する、という部分は、健康的だと思う。ただ、普段から、安全な場なのに勝手に『死』を予感する、日常のささいなことに対して「私に死ねって言ってるのか」というメッセージを感じてしまう、そこがオカシい。
そしてそんな回路が自分の中にあるなんて全く気づいてないから「私はオカシイ人間だ、ヤバい、変な性格」とひたすら思う。それによって、更に「自分には価値がない、生きてる資格がない」と思いつめる。思い詰めるといっても、しっかり言葉になっているわけじゃなくて、自分でも知らないあいだに無意識が自分を追い込んでいる。自分の知らないところで回路はさらに強化されていく、そのサイクルが体の中にあることが、まずかった。
キレやすい人の中にも、いろいろタイプがいると思うけど、私のように、間違った回路を持っている人は、その回路の間違いを修正すると、日常に対して落ち着いて対処できるようになっていく。
とまあ、そういうわけなんですが、豊田氏が録られてしまった音声テープを聞いていて、豊田氏もそれに似ている回路をお持ちなのではないかと思った。とにかく「失敗」というものが嫌い、苦手、許せない、恐怖、なのではないだろうか。失敗=自分の価値がなくなる=死を意味する、という回路がある人なんだ、と思って聞いてみると、実に“マトモな”反応に聞こえました。このハゲーーー!の部分。
「支持者を怒らせるな」「私を傷つけるな」「私のほうがよっぽど痛い」というセリフにも、その感じを感じました。私は、ね。勝手にね。
あと感じたのは、秘書と自分が一体化してるところ。まあ、職業的に当たり前なんだと思う、秘書の失敗は議員の責任、みたいなことは。
私は昔、自分の親が恥ずかしい行動するのが本当に耐えられなかった。特に、自分の夫に向かって失礼な言動、みたいなことをすると、全身を切り裂かれるような苦痛を感じた。
それは、自分が親と一体化しており、親の言動に対して夫が下す親への反応、が全部そのまま自分に対しての評価になる、みたいな錯覚を持っていたからである。
親が、自分の思う範囲の言動をしてくれないことは、私にとって、自分が自分を裏切るみたいな苦痛だった。だから親の一挙手一投足が気になるし、イライラする。
親と一体化しているし、夫との境界線も、曖昧な状態だったんだと思う。親がこうしたら、夫は私をこう思って嫌うに違いない、という想定で動いているから。夫がどう思うかというところも勝手に決めつけている。
豊田さんの音声を聞いていて、それと同じ構図を感じた。豊田さんは秘書と一体化しているし、支持者とも一体化しちゃっている。本来なら、そんなハガキを大量に書き間違えて送っちゃうような激ヤバな失敗をする秘書なら、ありえない!と思ってすぐにクビにしたりとかよく分かんないけど、対処をすりゃあいいだけのはず。あと、そういう理不尽をチャンスに変えちゃお☆ とか思うことだって人間にはできる。
だけどとりあえずブチ切れて暴力を振るうという一番生産性のない行為(それどころか今回は破滅)をしてしまう。失敗は死を意味し、周りの人間と一体化している故の反応なのではないかな、と思った。
ミュージカル風、詩吟風、と呼ばれるパートのところ。私は擁護したいわけじゃないんだけど、ここはなんか、対等な喧嘩ではなくて上下がある関係で一方的に自分だけがテンションぶち上げ状態でキレている状況を緩和させるための策なのではないか、と感じました。エスカレートする自分にブレーキをかける感じです。
この状況じゃ、相手の秘書は自分に対して怒ったりしないから、このまま自分の暴力が激化して秘書の車の運転に影響が出て事故になったらまずいとか、逆に秘書(年上で異性)が反撃してくるかも、という怖さを感じて、急にクールダウンしようとして、なんていうか、「そんなに怒ってない」みたいな空気にしようとして、歌い出すという奇怪な行動になったのではないか。豊田氏なりのユーモアなのではないかと、私は音声を聞いてて思いました。
歌い方とか言ってる内容が凄惨すぎて単なるホラーでなんのブレーキにもなってないんだけど、「お前の家族が事故にあってぐしゃぐしゃになって」、という、書くのもいやなフレーズのところは、その言ってる時に自分が乗っている車がそういう目に遭って自分がそういう目に遭ったらどうしようという恐怖心と、部下の失敗を責める、という行為がごっちゃになって、そういうセリフになったのかもしれないな、と思った。
例えば、「いま、こんなに私を怒らせて、この車が事故になって私がぐしゃぐしゃになったらどうするの?」と本当は思ったのだけど、事故が起こりそうな行為をしているのは自分(運転している秘書を殴っている)なわけで、その矛盾がああいう発言になったのかなーとか。
「キレる私をやめたい」のイベントで、「『キレる』は自分の身を滅ぼすよね、だからやめなきゃいけないよね」って話を何度かした。
とにかく、キレやすい(死直結回路が体内にあるせいですぐパニックになる)と、人の信用をなくす。離婚されたり、人生が破綻することもある。そして、はずみで相手を怪我させたり、殺しちゃう可能性もある。そしてキレて車の助手席から無理矢理降りたり、とんでもない危険行為をして、自分が命を落とすこともある。キレるは自傷行為です。
自分の怒りの感情を表に出して、相手に気持ちを訴える、ということは普通のことであり、人間関係を培っていく上で必要なことだけど、「キレる(その場にそぐわないパニックを起こす)」というのは何もいいことがない。
「キレる私をやめたい」に書いたけど、私の場合は、カウンセリングやセラピーで自分の中に「死直結回路」があると気づきました。本当に、そういうの、誰も教えてくれないんだよね。自力でいろいろやりました。
豊田真由子さんも、東大とかハーバードとかですっごい勉強してたと思うけど、ほんと、「キレない生活がどうすれば送れるか」は、東大でもハーバードでも、教えてくんないんだと思います。
誰が教えてくれるのかというと、自分なんだよね。
キレることで、自分の中のどんな問題を自分は訴えているのか、やっぱ自分で聞いてあげなきゃいけない。その方法を知らないから、目の前の「言いやすい人」に対して「こんな私をどうにかしろ!!!!!」とパニックをぶつけるしかなくなっちゃうわけですね。
ハゲーーーの悲鳴のところとか、詩吟のところとか、もう、豊田さんの心は相当な状態だと思います。なんかちょっと、まゆげの書き方も眉間の距離とかすごい状態になってるし、あれもなんか、自分と自分以外の世界の境目がよくわかんなくなっちゃってる疲れの表われなのではないか、とか、まあ、いろいろ余計なことを思いました。
===追記===
こういう風に「加害者」「異常者」についてのことを、「あの人にも事情があった」みたいに書くと、すごく反発がある。それは、被害を受けた側からの「事情があったからなんなんだ」「だからってどうしてこっちがそれを飲まなきゃいけないんだ」みたいな反発ですね。
「キレる私をやめたい」に対しても、そういう反応が一定数ある。
しかし私は、「加害者にも事情があるんだから、許してください」ってことを言いたいんじゃない。
私もキレられたことがある。あんなに理不尽なことはない。その人にも事情があったんだ、と思っても、その人の印象が変わることはない。未だにトラウマありますし、彼らの事情を知ってもそのトラウマが消えるわけではない。全く別の世界の話である。私が豊田真由子氏の秘書でも、きっとテープを録ったと思います。
だけど、加害者側が「私にはそうなる事情があったんだ」と思うこと考えることは、とても重要なことだと思う。その課程を通らないと、反省(被害を与えた相手の気持ちへの理解に近づく)なんてものはできないです。
加害者の事情について考えるというのは、被害者の人へ許しや理解を求めるメッセージでは全くないのです。だから別に、被害に遭った人は、そんなやつの事情を汲まなくても全くいいと思います。
===お知らせ===
お知らせです
8/26に、岡田法悦さんのゲシュタルトセラピーのワークショップセミナーに、1日だけ出させていただくことになりました。ワークショップ自体は26日、27日の二日間です。私が参加するのは26日だけです。
「キレる私をやめたい」のゲシュタルトセラピーの項と、あとがきの対談に登場する、岡田法悦さんです。
私にとっては、「キレる」については、ゲシュタルトセラピーがすごく効果がありました。
私からの告知を見て申し込む人は、4000円以上割引になるそうなので、「岡田先生、田房先生のご紹介で申し込む」のところを「はい」で申し込んでください。早期割引と同じ額になるそうです。
お申し込みはこちらから。
https://www.iryo.jp/product/2219/セラピーとかに馴染みがない方にとっては、高い金額だと思います。でもまあ、キレると親子問題がテーマになったゲシュタルトセラピーのワークショップっていうのあんまりないと思うので、興味ある方はぜひお越し下さい。
当日は撮影して、DVDにもなるらしいです。私もいまからちょっと、緊張しています・・・