2012年05月10日

なんともすごいお知らせいろいろ

「母がしんどい」が3刷されることが決まりました。
さらにたくさんの人に読んでいただけたらと思います。



現在発売中の「ダ・ヴィンチ」6月号の「注目の新刊」で女性向けマンガの欄で大きく紹介されています!



現在発売中の「映画秘宝」6月号の大西祥平さんの「ニュー漫画大学秘宝分校」の中の「読まずに死ぬな! 今月の漫ぶらぁ〜推薦図書」で取り上げられています!
すごくかっこよくてうれしい評を書いてくださり感激です。大西さん、マジでありがとうございます。マジに。ちょうどコーナーが名刺サイズなので名刺の裏に印刷してしまいたい気持ちです。



「母がしんどい」と同じ週(偶然なのです)に発売された毒ママ本「ポイズン・ママ」の小川雅代さんとトークイベントをさせていただくことになりました。
イベントのタイトルすごくいいですよね。

『母がしんどい』&『ポイズン・ママ』出版記念イベント
「毒母ミーティング」


イベントについてはまた書きます、今日はここまで〜
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2012年04月26日

紀伊國屋書店新宿本店さんにて 〔増刷が決まったり、朝日新聞に載ったり〕

「母がしんどい」発売から1ヶ月、増刷が決まりました。
買ってくださった方ありがとうございます。

昨日の朝日新聞の「母の娘」という特集で、「母がしんどい」が参考図書としてあげられていました。
写真 (6).JPG

信田さよ子さんや斎藤学さんの著書、「毒になる親」という、4年前自分が頼りにしまくった名書たちと自分が描いた漫画が一緒に並んでいる光景、不思議すぎるし感慨無量です。

それを受けて紀伊國屋書店新宿本店さんの1階で、「母がしんどい」を大きく展開していただいております!
IMG_0299 (3).jpg
バババン!

是非是非とも、お近くに行った際にはお立ち寄りください!

ネットじゃなくて、リアルな知人からは「『面白かった』…と言っていいのか分からないけど、面白かったです」と言われることが多い、「母がしんどい」。「面白い」という感想が言いにくいコミックエッセイだと思うけど、「面白い」とか「笑った」って言ってもらえるのが一番うれしいです。
ビッグダディとか家族モノドキュメントが好きな方も、共感とはまた別の角度から楽しめるコミックエッセイなのではないかと思います。
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2012年04月07日

関連ブログ

装丁デザインをしてくださったデザイン事務所ナルティスさんのブログに「母がしんどい」のことが載っています!
http://nartis.exblog.jp/17741619/

漫画の内容に合った絵〔可愛いけど毒っぽい植物や動物、お母さんにのっかられて埋まってるエイコの脚、地割れなどなど〕をナルティスさんが提案してくれました。目からうろこでした。私は描くだけだったのですが、枠の動物など、すごく楽しく描けました。
タイトルの文字も、斜めになっててお母さんからの重みが表されてる! 
すばらしい装丁です!

***

ライチさんというカウンセラーの方が、カウンセリング視点で「母がしんどい」を解析してるブログです。
すっごく面白いです! 
http://ameblo.jp/lychee-tangerine/entry-11211837570.html

***

友人が送ってくれた新宿の紀伊国屋書店の写真
honya.JPG

いま、産後の養生中なので外出ができず、本屋で並んでるのを見たことがないんですよね。本屋さんに並んでるのを早く見てみたいです。

**

ひとつ前の日記に、花輪和一漫画のことを書きました。
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花輪和一漫画

刑務所の前 (第1集)       母がしんどい [単行本(ソフトカバー)] / 田房 永子 (著); 新人物往来社 (刊)

「母がしんどい」に出てくる、花輪和一先生の漫画は「刑務所の前」(全3巻:小学館)です。
花輪先生が刑務所に入る前のエッセイ漫画なはずなんだけど、ぜんぜん違う時代劇が織り交ぜられているのです。私は買った当時は、エッセイのほうにしか興味がなく、時代劇のほうはあまり印象にありませんでした。
ところが絶縁の時に、本棚に並んでいる花輪コーナーを読んでびっくり、花輪先生の漫画はいわゆる「毒親」と戦う子供がたくさん出てくるのです。
中でも「刑務所の中」は、娘だけ楽しそうだとおもいっきり暗く陰鬱になったアピールをして「お前だけ幸せになるな」と圧迫してくるいわゆるモラハラチックな父親と二人暮らしの主人公の少女が出てきます。父親の陰鬱モードがすごい面白い。うざすぎて笑ってしまいます。
更に、うめという登場人物は、お金持ちで世間体重視の両親から受けた苦しみを取り除こうと修行してる女の子です。うめは、祈祷師の先生に教わって自分の心の声を聞くことで自分のルーツに気づいていくんですね。
私はこの、うめのやり方をマネてみて、「100%自分の味方」が出てきました。

精神病の治療というか、取り組みのひとつに「当事者研究」というのがあって、それがこの「うめ法」と同じだったので驚きました。精神病はいろんな声に惑わされることがあるので、自分の心の声を自分でたずねる、みたいなのが重要なんですね。
でも、催眠療法系の精神科クリニックに行ったとき(この治療法も個人的によかったです)、「心の中の自分と話したり、自問自答はしないようにね」って言われ、やり方もい考え方もいろいろあるんだなと思いました。

「刑務所の中」は、エッセイとも時代劇ともちがう話も入っています。花輪漫画は基本的に「目に見えないちから」についてが描いてあって、世間体を重視する親(目に見えるものや常識を基準にこちらを支配する者)と戦うには、目に見えないモノの力が不可欠ですね!
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2012年03月31日

人との比較

「母がしんどい」が発売されて1週間、ツイッターやブログ、書籍通販サイトのレビューやメール、たくさんの感想を読ませていただく機会を得ました。

 私は自分が「親を無視するなんて間違ってるんじゃないか」と罪悪感でいっぱいだった頃、確か発言小町で読んだある相談で衝撃を受けた。
 息子の新婚旅行に着いていくことを企てた母親による、息子から「絶縁だ!」と言われて関係を絶たれてしまってどうしよう、という相談だったんだけど、「そのレベルで絶縁って、しちゃっていいんだ!」という喜びの衝撃を受けました。
 どういうことをされたら絶縁してもいい、という基準はないから、自分が正しいという自信を保ち続けるのが大変。
 「親と絶縁した人」のエピソードを読んでも、「親が金を無心してくる」とか「親の異性関係が乱れすぎている」とか、自分の環境とはちょっと違っていたりするので細かいエピソードになればなるほど、「そのレベルの人は絶縁してもいいけど、うちはダメなのでは…?」と、新たな悩みが生まれてしまったりしてました。
 だから発言小町で見た、「新婚旅行に着いてこうとする母を絶縁した息子」が私には「周りは関係なく、自分がイヤだと思ったことに忠実な人」に見え、自分の気持ちを尊重することだけを大切にしていいんだ! と思えてかなり気がラクになりました。

 この世の中は、「もっとつらい人がいるんだから、こんなことで弱音を吐く私は間違っている」という思考が必要以上に充満しすぎていると思う。

 私は、「母がしんどい」を書くにあたって、「私よりつらい体験してる人はたくさんいるはずだけど、敢えてこの軽めの体験を書いて『こんな私でも絶縁しちゃいましたよ』と言うことで、誰かの気がラクになるんじゃないか」と思う気持ちがありました。

 しかし「田房さんちほどひどくはないけど、うちも似ています」というご感想が予想以上に多くて、「うちはもっとひどいです。そのレベルで絶縁って甘いですね」と言われるだろうと思っていたけど今のところそういうご感想は一件も見たことがない。「そうか、うちってかなりひどいんだ」と改めて思うと、なんだか別の悲しみのようなものが沸いてきたりもしてきて、「アラ? もしかして私は事実よりもひどめに漫画に描いたのではないだろうか?」と思って「母がしんどい」を読み返してみるんだけど、自分でも驚くほど事実をそのままこれ以上ないほど忠実に描けているので、「なるほどやっぱりひどいのだなあ」と思いました。
 
 そんな私にも「この人の家庭環境はうちよりひどいから私よりしんどそうだ」という人がいるわけで、でももしかしたらその人は私のことを「田房さんは私よりしんどそうだ」と思っているかもしれない。そこで問題なのは、どっちの家のほうがしんどいかということではなく、敢えて口に出さずに静かにお互いそう思うことで、「この人よりもしんどくないんだから私はもっと頑張らなければいけない」という考えを持ってしまうことであります。
 人と自分を比べて、自分や相手を「かわいそう」と思うことは、なんの比較にもなっていないし、不毛でしかない。本当に注目しなきゃいけないのは、「自分がつらい、しんどいと思っているかどうか」であると思う。

 親子関係で苦労した人が思う「子供を自分と同じ目に遭わせたくない」という気持ちも、それと似ていると思う。「母がしんどい」を読んで、こういう母親になりそうで怖い、なりたくない と思うのは普通のことだと思う。私もすごく思う。(こんな風に娘に嫌われたらどうしよう(涙涙涙))

 その反面、私はこういう母に育てられて親と疎遠になってるけど、今は楽しさのほうが少し多い生活を送れている、という事実もあって、その視点で考えると、「こんな母に育てられた人」が必ずしも完全に不幸なのか、という疑問が浮上するわけです。私も、決別直後は本当に本当に両親のことを「あんなヤツらみたいになったらお終ぇだ!!」って般若の顔で思っていました。だけど、親と離れることでだんだんと自分を取り戻していった感覚(この自分というクシャクシャの風船に空気が入っていくようなこの感覚は毎日すごく感じました)を実感するたび、「あんなヤツら〜お終ぇだ」感は薄らいでいきました。
 「あんなヤツらに育てられた自分=つらい、しんどい、不幸」という式が成立してる時は、「あんなヤツら〜お終ぇだ」感もちゃんと直立してるのですけど、「あんなヤツらに育てられた自分=意外と楽しさもある毎日」という式には矛盾が生じるんですよね。だから「あんなヤツらみたいになったらお終ぇだ!!」からだんだん「あんなヤツらさんみたいになってもまあけっこう大丈夫なんじゃないの」に変わっていき、今は「お父さんとお母さんもまあがんばってたのかな(関わりたくはないけど)」に落ち着いています。
 そして、自分の母のことを思うと、母も自分が祖母から受けた接し方を拒否し、自分の子供(私)には別の接し方を心がけようとしていたんじゃないかと思うようになった。母も「母のような母になりたくない」という気持ちを持っていたんではなかろうか、と思う。

 私は「そう思えるようになった自分、上出来だ」と自分で思っています。でもそこで、親子関係がうまくいってる人と自分を比べて「親に孫の顔も見せない自分」を「不幸だ不幸だ」と思ってしまったら、また「あんなヤツらに育てられた自分=つらい、しんどい、不幸」の式が登場し、「あんなヤツら〜お終ぇだ」感がビビーンと復活して、般若の顔で毎日を過ごさなければならなくなる。それは人と自分を比較したから出てくる怒りであって、あんまりそれって必要ない気がするんですよね。
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2012年03月22日

単行本発売

明日(3月23日)、私の初の単行本「母がしんどい」が発売されます。
ノノシット母との生活から家出、そして両親との決別までを描いたコミックエッセイです。

amazonのページ
母がしんどい [単行本(ソフトカバー)] / 田房 永子 (著); 新人物往来社 (刊)
母がしんどい [単行本(ソフトカバー)] / 田房 永子 (著); 新人物往来社 (刊)


表紙
hyousi.JPG
裏表紙
urahyousi.JPG


4年前、両親と決別を決めたと同時に描き始めたこの漫画。そのときから出版社も出版されることも決まってたんだけど、やっと発売になりました。

4年前、自分と同じように親との関係で悩んでいる人の体験談を読むことだけが癒しになっていて、自分も描きたい、読んでもらいたい!と強く思いました。
動機はもうひとつあって、父へのアクションとして、自分の母との記憶を漫画に起こして出版したいという気持ちがありました。「母がしんどい」の中に出てくる父との、とあるやりとりの中で、父に対してのアクションがどうしても私にはできなかった。長年「いい子」をやりつづけていたので、父への反発の仕方が分からず、困ってしまったのです。(しかし父からしたら私は「いい子」ではなかったワケですが…。これも本に書いてあります)
「私だって、こんなに大変だった!」
ということを、面と向かっても、電話でも手紙でも言えない。だけど言ってやりたい!! そういう、父への個人的な怒りがかなりの原動力になっていました。
父本人だけに向けた手紙を、敢えて父宛てには出さず「出版」するということが、私にとっての「復讐」、当時の私は真剣にそう思っていて、父からのメッセージへのアンサー漫画として描き始めました。

描き始めると子供の頃のことや昔のことへの怒りがリアルに沸いてきて、キッツくて休みながら描いたり、どうしても憤怒が先行してしまい恨み節のような描きかたしかできない時があったり、なかなか仕上がりませんでした。

それでも2年くらい経った頃には怒りもおさまってきていて、それはこの漫画の中で「自分がされていやだったこと」を何度も何度も反復して描いたり考えたりしたことが、自分の心によい効果をもたらしたっていうのも少しあるような気がします。
そうすると今度は「こんな“父への復讐”が軸になった内容のものを出版するなんて、いいのだろうか…母のこともそのまんま描いてるし…」という迷いが出てきて、また進行が遅れまくるのでした。

そしてとうとうラフは最後までできた、という去年になって、それまで毎年毎年「今年こそ出しましょう!」と励ましあっていた出版社の人と連絡がとれなくなり、発表先がなくなってしまうという宙ぶらりん状態になってしまいました。

ちょうどその時、私は妊娠初期で「自分が子供を持ってしまったら、『子供としての怒り』を描いたこの漫画は、もう絶対に描き終えることはできない」と強く思いました。
自分が母親になって母親側の気持ちが少しでも分かってしまったら、私はこの「娘時代の娘としての怒り」を都合よく忘却してしまうような気がしたし、むしろ自分自身が「娘時代の怒り」についてどうでもよくなってしまうだろうと思った。
私は小学生の頃、理不尽な目に遭って大人から「あんたは子供だから分からない」「大人になれば分かる」「あんたのためなんだ」と言われて無理やり納得させられた出来事を、本当に大人になったら納得ができることなのか大人になってから思い出して考えよう、とジクジクといつまでも細かく理不尽エピソードを記憶することに精を出していた小学生でした。ノートに書き起こしたり、いつもいつも反復したり。
実際大人になって、「あの時の大人たちが言ってたとおりだった」と思ったことはゼロでした。むしろ大人になってからのほうが、その理不尽さがどのくらい理不尽であったかが分かってしまい、怒り倍増なほどでした。

だから、自分が母親になったからって、娘時代の理不尽を自分が忘れてしまうのは、娘時代の自分がかわいそうな気がするし、そのためにできることと言えば、この漫画を仕上げて出版すること、でした。
出版社を探しあてることにしました。そしてすぐに新人物往来社さんから出してもらえることが決まったのでした。

しかし、「娘としての怒り」を残しておくことで、親になった自分が、昔の自分に首をしめられるような思いをすることもあると思う。実際、子供を生んですぐにそう思った。娘時代の怒りは、忘れたほうが育児はやりやすいように思う。うすうすそう思っていて、実際にそういう感じだけど、本の中では娘側としての見え方、考えを描くことを徹底しました。

ぐちゃぐちゃと、このような思いがつまった本になっています。最初は、同じように母とのこと親とのことで悩んでいる女性に読んでもらいたいと思っていたけど、描いていくうちに、娘さんを持つお父さん、これから母親になる人、子供を持たないと決めている人、いろんな人に読んでもらえたらいいな!と強く思うようになりました。

この本についてはいろいろ書きたいことがあるので、またブログに書くと思います。
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2012年03月10日

マインドコントロール

 先週は、オセロの中島さんのニュースずっと見ていました。早起きして見てました。わざわざ早起きしてたわけじゃないけど、なんだかちょうど朝のワイドショーの時間に目が覚めるのでした。

 ワイドショーの報道のしかた、最初の頃は「中島さんに一体なにが・・・」みたいなうかがいながらおそるおそるって感じだったのに、TKOがアッコにおまかせで友人としてリアルな感情吐露したあたりから「ワッショイワッショイ!中島さんが被害者、自称霊能者極悪!ワッショイ!!」って感じになってきて、中尾彬で王手。中尾ネジネジおじさん彬の「自称霊能者の女に会った」証言から一気に「自称霊能者によるマインドコントロール被害!奪還!蘇生への道!」みたいにワルノリお祭りリモードがスパークして、作ってるほうも見てるほうも目が血走りまくる数日間を送りました。基本スタンスは「自称霊能者はしょうもねー女!中島さんを救え!」って言ってるだけなんだけど、ワイドショーの人とそれ楽しんで見てる人(私)の気持ち良さそうな顔が一番キモチ悪い、という構図。
 小学校の教室で、これに似た光景ありました。爆竹とか万引きとかワルいことしちゃった男子少数名を、担任先生と一部の優等生が「正義」という名のもとに断罪をはじめ、知らない間に「正義」側のテンションがある地点を超えちゃって、“ワル”置いてけぼりで「正義」達がエクスタシー感じまくってヨダレを垂れ流す、という光景が。

 中島さんマインドコントロール騒動は、エンターテイメントな登場人物たちが奇跡的な緊張感を保って毎日、人の死傷に関わらない展開を持続。唯一、一般人でみんながよく知らない“自称霊能者”を根拠なく悪モノにすることで、見てるほうは「正義エクスタシー」を感じられるという、人間の「団体芸」として非常に秀逸だったと思います。災害とか事故とか人が死んだりする事件だと、こういう「団体芸」は成り立たない。

 
 私は4年前に、両親に対しての積年の疑念が噴射し、「彼らの言ってることを正しいと思い込んできたけど、果たしてそうなのか?」「一体彼らは、『私の親』である以前に、どういう人間なのか」ということを考え始めた時、「過干渉」という言葉を知った。「過干渉」っていうのは、「子供の意思や思考、自我の発達や自主性などを否定して、操り人形のごとく親の意のままにコントロールしようとすること」っていう意味。
 我が家では、一人っ子の私が「我がままな性格の子供」で、父と母はそれに困らされている、っていう家族図を提示されていた。私からすると、母が私の意志を無視して自分のやりたいことを決行してるとしか思えないこと、それに対して怒ったりすると、結局は「娘を思って親が行動してるのに、言う事を聞かない我がままな娘」ということに家庭内(両親)で決着する。私も「そうなのかな…」と思ってしまうので、「反省」という形をとって、うやむやになる。最初の、私を怒らせたそもそもの母の言動と私自身の怒りはないことになってしまう。結果的に私の意思は無視される形になり、親の思い通りになる(と、私のほうからは見える)。

 そういった、家族の中で通例になっている流れを「過干渉」という言葉に当てはめて考えると、「自分は我がままな性格であり、それが両親を困らせている」と思い込まされている、ということになる。相手は親なので、生まれた時から「お前は我がままだ」と脳内をコントロールされていたと考える。それは例えばこういう時に便利。母が娘と二人で旅行に行きたい時。娘はその時期、友人たちと海に行く予定があった。母はその予定をキャンセルさせて一緒に旅行に行きたい。そういう時は「親が旅行に連れてってやると言ってるのにそれが分からないなんて我がままだ」と言えば簡単。娘は生まれた時から「我がまま」というキーワードに敏感に罪悪感を感じるように日々コントロールされているので、母の要求を無碍にすることができず、必要以上に悩み苦しみ、結局友人との約束をキャンセルして母の要求に従ってしまう。
 この場合、本当に「我がまま」なのは母のほうなのにね。

 私は「過干渉」という言葉によって、自分の家族のカラクリに気付いた。両親自身も無意識で使っていただろうカラクリ。表向きは「問題のない仲良し親子」に見えるし自分でもそう思っているのに、どうしてこんなに親と付き合うことがしんどいのか。

 親から「過干渉」を受けていたと捉えると、一瞬で辻褄が合った。「過干渉」からソレ系の本を読みまくり、その内に親からかけられていた「マインドコントロール」が解けていった。
 中でもバチンバチン!と音が出るように解けたのはやっぱり「毒になる親」と「母が重くてしかたない」の2冊です。特に「毒になる親」は当てはまりすぎて、親から30年に渡って思い込まされてたことがひっくり返ってしまう、という恐怖がすごくて、途中で何度も読むのを中断した。
 当時は憎たらしい、怒りという感情しかなかったから、自分の怒りの爆発具合も予想できないし、いろいろ怖かった。そしてちゃんと読み終わった時、マインドコントロールが解けた!という感じがして、でもそれと同時に「あなたの親はあなたの人生にとって毒になる存在なんですよ」という別のマインドコントロールにかけられた、というような気もした。

 「毒になる親」は、親に向けて手紙を書いて“対決”しよう、という項目がある。もし私がその“対決”をすることになったら、「お前達は私にマインドコントロールをかけていた、本当に我がままなのはそっちじゃないのか、今までのことを謝罪しろ」みたいなことを言うと思うんだけど、そしたら両親は「いきなり突然どうしちゃったの?!変な本に感化されちゃってマインドコントロールされちゃって」って思うだけじゃないかなと思った。(だから“対決”というのはしてない)

 思考するとか、自分の気持ちを定める、自分の「正しい」を選択する、というのは、社会の相対で見ると、「どこかに寄る」ということになるから、「マインドコントロール」という言葉を使えば、誰でも何かしらに「マインドコントロール」されていると言えると思う。 
 
 宗教団体とか、組織的に動いてるところが錬金とか人集めのマニュアルとして「マインドコントロール」というものを使ってる、という意味での「マインドコントロール」はまたちょっと違うと思う。
 そうじゃなくて、個人同士がお互いに干渉としてかけあってるものがあると思う。中島さんと自称霊能者のは、この個人干渉系のマインドコントロールだと思うんだけど、ワイドショーでは宗教団体の事務的な「マインドコントロール」として語られてるので、自称霊能者がものすごい悪いヤツみたいになって、話がでかくなってワケわかんなくなっちゃってる。


 中島さんと同じ“被害”に遭っていた(自称霊能者と一緒に住みつかれた)という女性が、テレビによく出てた。自称霊能者は、この女性の夫のカードを使い、通販(たぶんアマゾン)で官能小説を買っていたらしい。
 超ウケる! 自称霊能者と仲良くしてるのはこの女性のほうであって、つまり「知り合いの旦那さんのカードで官能小説を買う」ってことでしょ。人生でそんな、誰かの旦那さんのカードでオナネタ買うことってなかなかないよね。「マインドコントロール」っていう重々しい言葉を使ってるエピソードにしてはみみっちいし、なぜそんなことになっているのか、本人たち(もちろん霊能者自身も)も分からない感じもおもしろいなって思った。
 でもこの自称霊能者みたいに「個人干渉」が得意な上にそうやってしか他者と関われない人との関係の行く末としては、何もおかしくない。「他人のカードで官能小説購入」というおかしい状況が決しておかしくない。

 ワイドショーのコメンテーター(なかにし礼)が、「私も兄貴にお金をたくさん貸していて、当時は何もおかしいと思ってませんでした。だけどあれもマインドコントロールの一種だと今は思う。人同士ってそういう関係になることがある」って言ってた。「そうそう!私もそう思うよ、礼!」と思ったんだけど、紀藤弁護士は「親や家族は、しつけというものでコントロールしあってるように見えるけど、親は子供に『私の言うとおりにしないとあなたは不幸になる』という言い方はしないでしょう。『マインドコントロール』というのは脅しを含めて自分の思うように人を操ることなんです」(大意)と言って、なかにし礼を黙らせていた。
 「私の言うとおりにしないとあなたは不幸になる」って子供に言う親、いるよ〜!
 「個人干渉」の意味としての「マインドコントロール」という言葉、新しいのが必要だと思います。

これは、テレビで紹介してた「マインドコントール」の仕組み。

mind.jpg

【喜】笑顔で迎えてくれ、優しく話を聞いてくれる
【信】複数の人から同じ話を聞かされる
【変】だます側に変わっていく
【嘘】すべて嘘で固め、嘘が自然になる
【離】家族、友人など周囲と離れ、孤立していく

 対人で精神的な“強弱関係”になったことがある人なら、ピンとくる表だと思います。私はピンピンきました!
 けっこう、親子とか家族ってこの構造あるよね。最初(赤ちゃんのとき)は笑顔で迎えてくれるし、小さい頃って複数の人(親族など)から同じ話(この人は昔からこういう性格だから等)聞かされるし、だます側に変わるというのは、自分をだます(周りの人の言うことを信じて自分で考えることはしない)っていうことに置き換えられる。自分への嘘で固め、自分の性格も言われたままに信じ込み、親の思うような行動をする(そうすることでもしかして本当に自分に合っている場所や人とは出会えないかもしれない、それは孤立とも言える)。

 家族ってそういう部分あると思う。

 それにカルト的人物につかまっちゃう場合も、この「喜・信・変・嘘・離」の流れって基本だよね。この“自称霊能者”のように家に住み着いちゃうとかまでいかなくても、こういう風に排他的な対人関係を作ることで相手の生活や考え方を変えてしまう人って、たくさんいる。
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2012年03月02日

むだにびっくり

私の自主制作本「むだにびっくり」についてのお問い合わせがここのところ続いてるので、購入情報を書きます。
「むだにびっくり」シリーズは1〜4号まであります。

【買える場所(全店通販可)】
タコシェ(東京:中野)
模索舎(東京:新宿)
アンノンレコード(東京:西荻窪)
バサラブックス(東京:吉祥寺)
ガケ書房(京都)
※メールや電話でお問い合わせください※

ジュンク堂新宿店 8階雑誌ミニコミコーナーさんでも取り扱いしてもらってます。
ジュンク堂新宿店さんは3月末で閉店とのこと。


★1号「過激スポット潜入篇」ルポルタージュ・100P・500円
25歳頃から男性向アダルト誌で潜入レポート漫画を描いていた。
そこで求められる「女(可愛くて恥ずかしがり屋で、でも本当はエッチが大好き☆)」に私の女としての本当の意見は必要がなかった。その息苦しさについて書いたシリーズ第1弾!
むだにびっくりシリーズは累計2500部売れたのですが、中でもこの1号は一番出ていて1000部近く売れています!
<かなり品薄であと20冊くらいしかありません。お早めに!>

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★3号「圧迫感のある人たち!!篇」ルポルタージュ・120P・600円
やらない潜入ルポで、風俗業界や出会い系&婚活をつぶさに観察してきた田房永子の「むだにびっくり」シリーズ。好評のうちに,第三弾がリリースされました!今回のテーマは“圧迫感のある人たち”。電車で、テレビで、女友達同士で、日常のあらゆる場面に現れる圧迫感のある人が放つ圧を、弱気のふりして受け止めてきた筆者が、すべて吐き出すことで圧をかけてくれます! うん、いるいる、と頷きつつ、ひょっとして誰もがアッパクちゃんになっていたりアッパクちゃんを誘発しているのかも、という都市の圧迫生態系が描写されています!
タコシェさんの紹介文より)
<1号よりは在庫ありますが、3号も好評で品薄です。お早目に!>

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★4号「えろしぼり」漫画・70P・1000円
スポーツ新聞に連載していた女の本音漫画です。
【例】未収録の作品↓
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<1号よりは在庫ありますが、好評で品薄です。増刷の予定はありません>


★2号「出会い系篇」は在庫切れです。
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<各1回ずつだけですが、ヤフオク、ブックオフで見ました>
2号は一番オススメなので、どうにかまた発表できる機会があればいいなと思うのですが・・・。


★「おいちわさま」という、文鳥飼育漫画本も2巻作ったのですが、そちらももう在庫がありません。いつか、完結させて本にしたい!と思っています。
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2012年02月21日

ノノシットお知らせ

 今発売中の雑誌AERA(2月27日号)「毒親に苦しむ娘」特集でインタビューを受けました。「ノノシラー」とか「エア母」とか、このブログで使ってる、知ってる人が4人くらいしかいない用語が載ってます。
 インタビューにもちょっと書いてあるけど、ノノシット関連の私の単行本が出版されます。書き下ろしの漫画で、自主制作じゃないので、全国の本屋さんで取り寄せたりアマゾンで買ったりできます。詳細はまたのちほどアップしますー。
 
 AERAの同じ特集内に、作家の村山由佳さんのインタビューも載ってます。村山さんの母との葛藤を描いた著書「放蕩記」のアマゾンのカスタマーレビュー(☆の少ないもの)が、なんかすごい壮絶だなあと思ってたんだけど、あのカスタマーレビューと、村山さんのこのインタビューが私の中では繋がって痛快でした!
 今号は表紙が松井冬子でうれしい。AERAは表紙が知らない外国人のおじさんの号もあるから…。

**

【他のお知らせ】
 カラダマネージャーの「STD(性感染症)予防特集」(全3回)のテキストを担当しました。イラストは河井克夫さんです!
http://au-karada.auone.jp/contents/p/allmem/std/index.html 

サイゾーウーマンで「たまごクラブ」のレビューを書いたり、ラブピースクラブで「女印良品」というコラムを書いたりしています。よかったら見てみてね。

眠いので、一眠りします。
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2012年01月22日

バスの中

バスの中。
人ごみをかき分けて、5歳位の女の子が私の隣の席に座ってる人の前に立った。
女の子は手すりに掴まる要領で、隣の人が持ってる傘の柄をつかんでいて、かわいかった。

それに困ったのかなんなのか、次が終点だけど、隣の人(女性)は女の子に席を譲った。「どうぞ〜」っていう感じで快く。だけどほんともう次が終点だから譲るほうが、混んでる車内的にはめんどくさい感じはあった。
女の子のお母さんは、女性に「えっ、いいですよ〜、えっすみません〜」みたいなことを言ってた。半ば、無理矢理譲るみたいな感じ。

女の子が座ると、女の子のお母さんが女の子に「ありがとうはっ?!」って言ってありがとうを言わせた。そのあと、女の子に「なんで座るの? ○ちゃんは元気な子なんだから座らなくていいんだよ」って言った。○ちゃんは「えっ」って感じでいて、お母さんはそんな○ちゃんに「○ちゃんは元気な子なんだよ。だから座らなくていいの」ってしつこく言っていた。
すると○ちゃんが「○ちゃんはべつに座ろうと思ってない。だってあの人が座れって言うから!」って言い返した。○ちゃんは自発的に座ったんじゃなくて座らされたんだから、○ちゃんの言う通りだ、と私は思った。ていうかこんな小さくてちゃんと自分の主張が的確にできる○ちゃんスゲエなって思った。

しかしお母さんは「元気な子は座らないの。ねっ、○ちゃんは元気なんだから」ってまた同じこと言い出して、なんつうか、○ちゃんの「私は座らされた」という主張をまったく無視していて、意味不明な会話になってた。
そのあとも終点に着くまで「元気な子は座らないの。ねっ、○ちゃんは元気なんだから」ってずっと言い続けるので、○ちゃんも「うん…」って納得してるフリをせざるを得ない状況になってた。「元気なのに座りたがって席を譲ってもらってごめんなさい」みたいなことになってた。事実はぜんっぜんちがうのに…理不尽すぎる…。

なんでこんなことになるんだろう、「座らせてもらえてよかったね」で終わればいいのに、お母さんはなんであんなしつこく、○ちゃんが悪いってことにしたがるんだろうか。

次が終点なのに席譲るとか大袈裟なことしてんじゃねえよめんどくせえな っていう、席を譲った人に対してのイラッとする気持ちを、○ちゃんにぶつけてる感じかなって思った。私もその気持ちちょっと分かる。あと、「子供を座らせる親」批判って昔から一定してあるから、「子供を座らせる親」じゃないのに!勝手に譲っちゃって みたいな世間体的苛立ちもあるかなと思う。
どっちにしても、お母さんの中の問題で○ちゃんには関係がないけど、その苛立ちの矛先になりがちなのは子供で、子供はすべて引き受けるハメになるんだな。子供って理不尽な目に遭うのが仕事なんだなーって思った。私も子供が生まれたら、ああいうことしまくっちゃいそう。


それから別の日のバス、父親と3〜4歳くらいの男の子が乗ってた。男の子はバスの窓がビリビリ震えるほどの大音量の奇声を発してはしゃいでいた。「ウッ!」と耳をつんざくほどの嬌声。本当にすごい声をやたらにずーっと出してるので、かなりイライラした。「うるせえっ!」って言いたいし、他の誰かが言ってもおかしくないくらい。だけど、迷惑そうな顔をお父さんに向けるなんてことは誰もしない。それは、一番困ってるのはお父さんだとみんな分かってるからだと思う。「誰も何も言わない」っていうその状況に、私は冷たさよりあたたかさを感じた。私も、なんとか男の子の声でイライラせずに乗車していられるよう、別のことを考えたりして意識的にがんばった。そうすることで「困ってるお父さん」に間接的に協力している、と思えば乗り越えられる感じだった。

だけど、しばらくしてお父さんが男の子に言った!
「うるさくしてると、他のお客さんに怒られちゃうよ〜」って。
その頼りなげな言い方、怒られちゃいますよっていう単なる報告っぽい感じ、超むかついたー。
なんで人(私たち他の乗客)を使うのか・・・。自分がコイツの声うるさいと思えば「うるさい!」って言えばいいし、別にうるさくないと思ってるなら放っておけばいいし、自分の立場で意見を言えよ! って思った。
「俺はお前の声がうるさいとは思ってない、だけど他の人が聞いたらうるさいと思うレベルなんじゃないか、とは感じている。俺はお前の声をうるさいとは思わないが、このおかげで他の客から怒られるのは、俺はいやだ。だから奇声を発するのはやめろ」って言ったなら、こっちもなんか納得する。芝居がかっててうざいけれども。
「他のお客さん」に怒られちゃいますよ〜 っていうのは、そりゃないよって思う。

前も、騒いでる孫にババアが「うるさいから、おねえちゃんが笑ってるよ」って、明らかに私のことを説得に使用していてむかついた。笑ってないし…。

「あの人に怒られるよ」とか言っても子供なんて黙らないよね。「うるせえから黙れ!」って言ったほうがまだ効く気がする。「他の人に怒られるよ」ってわけわかんないこと言うよりも、子供に「うるさい!黙れ!」って言ってその場で親子喧嘩してるほうがなんていうかシンプルでマトモだと思うんだけど、「小さい子供を公共の場でギャンギャン怒ってる親」もまた、批判される対象だから難しいよね。それを回避するために「他の人に怒られるよ」っていう方向に行ってるわけだし。窮屈な世の中ですわ〜。
posted by tabusa at 15:44| Comment(2) | ノノシット関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする