2017年02月26日

娘 Nちゃんとの会話

「ママってぜ〜んぜん可愛くない」
「(・・・)そーお まあね、メガネかけてるからね」
「メガネかけてなくてもかわいくないよ!」
「メガネとったらそこそこかわいいよ」
「かわいくなーい!」
「お化粧したらけっこうかわいいよ」
「かわいくないよ!」
「Nちゃんのママなんだからかわいくないわけがないよ」
「かわいくなーい」

よく分からないけど、心に残ってる会話 でした

なんていうか、自分の顔とか容姿のこと、昔からずっとつらくて、ネットで「田房はデブス」と書かれたりするのも耐えられず、最近はネットで自分の顔写真を公開するのはできる限り避けている。どちらかというと、そういう不用意なことを言われる場に大切な自分の顔を晒したくないという気持ち。ずっと、見た目について近親者から嫌なことを言われ続けていて、「自分は誰よりも醜い」という思い込みがあった。それがだんだん回復してきたのに、ネットという場所に置くことによってまたそこに戻ってしまう感覚を現実で感じるのが嫌だから。
それとは別に、実生活では、娘がいつかこういうことを言ってくるだろうな、と思ってた。子どもって、「かわいいママ」の基準があるから。そういう時に自分ってどういう気持ち・対応するのかなと思ってた。想像がつかなかった。実際に起きてみたら気持ちは凪な感じで、淡々と「自分はかわいいよ」って言ってる自分に、少し驚いたし、なんか面白かったというか、正直、誇らしい気持ちになった。あんなに自分の見た目が嫌いでそのことで面倒なこと・大変なこともたくさんあったのになんか、偉いなって、思った。こんなこと、人に読ませるようなことではないことなのかもしれないけど、でもなんか、ここに残しておきたくなった。
posted by tabusa at 21:22| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月14日

んまー

清水富美加さんのニュースの、事務所からのコメント(無理矢理やらせた仕事はない)、うひ〜って思った。
「強い立場」がそう言うのってほんとよくあるパターンだよね。実際の事実がどうとかって話ではなく。

「にじいろジーン」が好きで前からよく見てたけどベッキーから清水富美加に変わった時、すげ〜〜!!超適役〜こんなにベッキーのあとを継げる人が出てきたらベッキーどうするの〜〜〜って思った。
そう思ってたんだけど、だんだん清水さんの元気がなくなっていく感じ(特にディズニーシーかなんかのロケの回、すっごいそう思った)がしてて、今回のニュース見て、なんか個人的にはしっくりした。
と、あとから言うパタ〜〜ン。

posted by tabusa at 05:46| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

親のせい

「人のせいにするな」っていうのありますよね
あれがよく分からないな〜

なんでいけないのかな。
本人に面と向かって「お前のせいだ!!」って言うのは、よくない(あんまり意味が無いから)と思うけど、「誰かのせいにする」をいうことを全面的に禁止すると、なんにも進まなくなっちゃうよね。

親の言動で子が「苦しかった」と思うのって、大ざっぱに言うと、親が「子のせい」にしてるからなんだよね。
例えば・・・って今書こうとしたけど、めっちゃくちゃ長くなるからちょっと他にもやることがあるから今やめとく。

↓と言いつつ書く。

とにかく、親が「愛」という言葉を以て子にめちゃくちゃなことをする時、親の頭の中は「この子はどうしてこうなんだろう。このままじゃ大変なこと(この子が不幸)になる…。それを正せるのは私しかいない」って感じになってると思う。そうやって正当化している。
あと、「この子って本当に○○だな」(○○の中には、わがままとか陰気くさいとか意地悪とか性格悪いとかよくない言葉が入る)って親が思って、本人に言ったり、「そういう性格の子」と思い込んで行動したり、それを理由に自分の言動を正当化したり(例・この子がこうだから私はこの子に優しくできない)することってある。
それって、親が「子のせいにしている」って状況だと思うんですよね。
「この子がこうだから、私はこうなんだ(こうするんだ)」って。それって、「人のせいにしてる」よね。親が子のせいにしてるよね。

親の問題で苦しい人は、つまりず〜〜っと、親から一方的に「お前のせい(で私は苦労してる、お前がこういう性格だから私は楽しく子育てできない等)」にされてきた可能性が高いのです。
そこから脱するには、その『せい』を手放す作業が必要なんですよね。
だから「親のせい(親が私のせいにしてきたせいで)」と考えるのが手っ取り早い。

その課程をすっとばして「親は悪くないけど私も悪くない」ってところに行くのは、普通の人間には無理だと思います。いけてたら、最初からいけてると思います(つまり、親がそういう子のせいにしない親だった、というだけ)

親から「お前のせいだ」という念をもらったという自覚がまだない人のいう「親のせいにするなんて」っていうのは、無視してよい。(本当にそういう念を一切もらわずに来た人とか、そこに既にいない人は「親のせいにするな」ってあまり言ってこない)
posted by tabusa at 04:44| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

意味付け

このツイートを見て、わ〜〜!! って思いました。

震災に意味付け やめて
https://twitter.com/CybershotTad/status/829488750828756994

以前、何かの手違いで「親に感謝、親を大切にしないとダメ」っていう主張の人と対談することになって、当日になってお互いに「え?」「え?」みたいになったことがありました。
私が「母親の『膜』の中で生きることを強要される娘の苦しさ」について語ると、その方は「でも、田房さんはお母さんのことを書いて本出してるじゃない!よかったじゃない!」って言うんですね。
私は「そういうことじゃなくて」って説明するんだけど、その方は最後まで「田房さんのお母さんは、田房さんが作家になれるように鍛えてくれたのよ(自立を促すためにわざと嫌がらせっぽく見えることをしていた、ネタを提供してくれた)!」って言ってました。
口 あんぐり でした。

あんまりないけど、過去に数回、そういうことを言う人に会ったことがあって、私はもともと漫画家になりたかったし、デビューした時はぜんぜん違う漫画を描いていたし、30歳に入って自尊心回復作業をやりまくってやっと単行本を出せたと自分で思ってるんですよね。
幼少期と10代20代の30年間でとことん自尊心を破壊され続けて、大人になって自力で回復作業をしないといけなかった。そこの部分を、他人から「小さい頃から破壊されてたおかげで、今そうなったわけなんだからよかったじゃない」って言われるって、すごいことなんですよね。心外だし侵害だし、超失礼…。
私の中では、「最初から破壊されてない状態」でも同じ結果だったとしか思えないし、なんていうか結果がどうっていうんじゃなくて、親が子の自尊心を無自覚に破壊するようなことは、ないほうがいいに決まってる、わけなんです。
自分でそれを「なかったことにしている」時期は本当につらかった。その時期は私も自分で『意味付け』をしていた。「親はきっと私を思ってそういうことをしてくれているんだ」と思おうとしたり、いちいちストーリーを作って自分を誤魔化していた。
だけど自分の「つらい」って気持ちに寄り添って、自分の身にはこういうことが起ったんだと認めて、それを立て直すのは自分しかいないんだって分かったところで、やっと回復作業を始められるわけなんですよね。

親にこういうことをされた! ってエピソードを書くことによって「私は悪くない」ってことを書きたいわけじゃなくて(だってもうとっくのとうに「私は悪くない」なんてこと分かってるんで)、「こういうことはないほうがいい」ってことを書いてるわけです。

だからこの記事を読んで、わあああ、同じ気持ちだ…! って思いました。

======
ブランシュシュさんに、私のインタビューが掲載されました〜

「親を嫌い」って言っちゃダメですか?
http://www.blanchechou.com/interview/tabusa-01/
posted by tabusa at 05:47| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月10日

「けなす」と「キレる」

こないだ、「万年B組ヒムケン先生」(#34 自分を変えたい女子の巻)を見ていて、うわあああ!!!って思ったシーンがあった。
このTVerでその回を、2/14の00:57まで見られます
http://tver.jp/episode/26014561/

ヒムケン先生の番組については説明省きます(私はデスバンドと小峠さんのやりとりが超好きなので毎回見ています)
 
私がうおおおって思ったのは、「痩せたい、キレやすい性格をなおしたい」っていう女性(ユウコちゃん)に、先生(三四郎の小宮)が敢えて手荒な特訓をする、っていうところ。
その荒療治が「敢えてキツいことを言うから、キレないように我慢して」というもので、ユウコちゃんの好物を先生が目の前で食べて「こんなの食べてるから太るんだよ ブス」とか言う、っていうもの。「これも彼女のため」とかナレーションが入ってた。
それでもユウコちゃんは言い返すだけだったけど、小宮先生が
「お前みたいなブスに食う権利はねえんだよ」
「ブスで我慢できないっていいところねえな」
と酷い言葉で煽りまくって
「頑張ってんだよこっちも!」というユウコちゃんに
「頑張っててもダメだから」
って言って最終的に「お前うるせんだよ 黙って聞いてれば! アア!?」ってユウコちゃんが小宮先生に掴みかかる、っていうシーンでした。
それで「またキレてしまった・・・」って本人も反省して落ち込む。

ああああああ!!!! これだああああ
って思った。
自分ってこの構図だったんだ、って思った。
登場人物は「ダメな人(『自分ってダメだ』とすごく思ってる人)」と「ダメじゃない人」の二人。
「ダメな人(自称)」って常に、「ダメだから、変わらなきゃ、なおさなきゃ」って思ってて、そういうことを口に出して言ったり、それ前提で生活してるんじゃないかな、って思った。私もユウコちゃんみたいな感じだった気がする。

****

テラスハウスの東京編で、タレントの美咲っていう女の子と、モデルの光る(ひかる)っていう男の子がいた。光るは確かアメリカ人と日本人のハーフでした。
美咲は光るのことが好きなんですね。
そして美咲は日本の「照れ隠しからのけなし文化」をしっかり継承している平成ッ子で、とにかく口を開けば、光るをけなすわけなんです。「こういうところがダメだよね〜」とか「ちゃんとできるの〜?」みたいな感じ。
光るはそれに対してムッとしたりする。怒ることもあった。
それで光るは「キレやすいキャラ」と言われるようになってた。

その場には目に見えない前提がある。「照れ隠しで言ってるだけなんだから」「むしろ好きなんだから」「言ってるほうはいじってるだけなんだからそんなに怒らなくても」っていう前提。
その前提を汲んで、「いちいち怒りを表に出すべきではない」という前提。
確かに光るが不機嫌になると場が凍るので、怒らないでいてくれたらいいと思う。「うまく」返してくれればいいと思う。
しかし、だいたいなんで最初にけなすのか。けなすからキレる、当たり前じゃないか。レンジでチンしたらあったまる、それと同じくらい当たり前。だけど「そんなことでキレる人」が不思議がられる。美咲は「人をけなしやすいキャラ」とは言われず、光るが「キレやすいキャラ」と言われる。

美咲と光るは結局カップルにならなかった。最初は光るも美咲を好きって感じだったけど、だんだん冷ややかな感じになって美咲に告白されたけどフッていた。私は見ていて、そりゃそうだろって思った。嫌だよあんなにけなされたら。
しかし光るはフる時に「美咲のちゃんとしてないところがいやだ」みたいな変な風なことを言ってた。もしかしたら「一緒にいるとけなされてウンザリする」って言っちゃうと「またそれかい(そんなことにこだわって)」みたいな感じになるから言えないよなーって思った。「けなされることを気にする(いちいちキレる)」っていうのをあれだけ周りから指摘されまくったら、自分でももうそこに触れたくなくなるし。

美咲はその後、別の男性とカップルになってたけど、その男性のことはぜんぜんけなしてなかった気がする。
「けなす」と「キレる」の組み合わせは相性もあるのかもしれない。

***

それで、ユウコちゃんの話に戻ります。ユウコちゃんの場合はTVショーなので、わざと大きくやっているっていうのがあるけど、私は自分の過去(元彼とのやりとり)を見ているようだった。
「自分のことをダメだと必要以上に思ってる状態の人」は、「必要以上に人をけなす人」をくっつけやすい重力を持っている気がする。光るみたいにちゃんと怒らない。その相手とくっつかないという選択をしない。むしろくっつく。けなしてくる相手を「自分を成長させてくれる人」と感じてしまう。そしてその相手から日常的にけなしを最大限に引き出す。

私は、自分がその「自分をダメだと必要以上に思ってる状態」になっていたのは、小さい頃から親とか学校の先生とかけなされまくってきて、それが当たり前になってる環境に居続けたからだと思う。
(こういうのについていちいち「人のせいにするな」と言う人が少数出るが、生まれた時からそういう環境にいるっていうことを、「自分のせい」にすることのほうが不可能だし、別に「そういう環境に育つ」ということは、「誰かのせいにする」ってこととイコールではない。そもそも「『誰かのせいにする』ということは悪いことである」という概念・思い込みこそ、自分に取っても周りにとっても有害な毒である。誰かのせいなんだから、誰かのせいでいいじゃん。誰かのせいにしちゃいけない、っていう概念は、「どっちかが悪い」という考え方が未だに貼り付いてるからだよ。その考え方が苦しみの始まりなんだよ。法律とか以外のことで「どっちかが悪い」なんてことないんだよ。だからそのジャッジから抜け出すことが第一歩。抜け出すにはいったん「自分が悪いわけじゃない(あの人の・あの環境のせいだったんだ)」と思うことが必要。「誰かのせい」は単なるその一つの課程。そして、自分にとって嫌な人は、嫌ならずっと「嫌な人」のままで心の中に置いておいていいんだよ。それをわざわざ本人に言う必要はないけど。「あの人の・あの環境のせいで、今の自分はこうしてこうなったんだなあ」と思うこと、何がいけないのか分からない。むしろそう思ったほうが前進できるのになあ、って思っちゃいますね)

ユウコちゃんに自分を重ね合わせ言いたいことは、「自分も悪かったんだ」とかそういうことではもちろんない。そういう構造があるんだ、って話。
posted by tabusa at 05:22| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

嫌いな言葉

このブログで同じようなことを何度も書いてると思うんだけど、また書いちゃいます、

私は苦手な言葉がある。
・○○より私はマシ
・○○に比べたら私は恵まれてるって分かった
・○○じゃなかった私はラッキー
っていうのです。

「母がしんどい」を出してから、他の本についても、感想として主にネット上でこの○○の部分に自分のことや自分の体験を入れられることが増えた。

あと「私は、田房さんほどではない(田房さんほど親がひどくない、田房さんほどキレない)んですが」
って前置きをつけられることがすごく多いわけなのですね。まあ、そういう漫画を描いてるから仕方ないんだけど。仕方ないけど、言われると何故かとても削れるんですね、なぜか、体や心のどこかが削れる。えぐれる。
なんていうか、その前置き、いる? って思う。きっと、話す人にとっては重要なんだと思う。「ええ?あなたってこんなにひどいの?」って誰かにギョッとされることからの回避。


それから、
「幸い」って言葉がすごく嫌いになった。
「幸いなことに」「幸いにも」
っていう使い方のときの「幸い」

たいていの場合、Aっていう不幸があって、それによって引き起こされるBっていう最悪の事態から免れました、って時に使われるんですよね。「幸い」。

「Aになりました。私の場合、幸いBにはならずに済みましたが」
全体をちゃんと読んでみるとその「Bにならなかった」というのは本文の主旨には関係がない、ただの補足であることがすごく多い。
「Aになりました」だけでいいのに、「幸いなことに」「Bという状況にはなりませんでした」ってわざわざ言われると、「現時点で『B』の状態になってる人はじゃあ、不幸なのか?」って思っちゃう。
別にそういう意味じゃないんだろうけど、「幸いなことに」が入ってるおかげで、「B状態になっちゃった人よりも私は幸せです」って言ってる感じになる、気が、どうしてもする。

自分自身が「『B』の人」として、もはやその代表、みたいな感じで『B』に入れられて言われることが多い立場になったからだと思う。ネット上では、私に向かってではなくて、誰か不特定多数に向かって、「私は田房さんほどではなくてラッキーですが」という前置きをしているのを、見てしまう、っていうことがたくさんある。

困るのは、「私は父親にすごく殴られていましたが、田房さんほどではないから幸せです」という旨を面と向かって言われる時。どうしていいか分からない。私は父親に殴られたことないけど・・・とかって正直思います。

とにかくこの5年で苦手な表現、嫌い言葉が増えました 笑
「世の中にはこういう人もいるのに、そうじゃない自分は幸せだ」っていう発想自体がいやになった。

嫌になりすぎて、病気を警告するテレビ番組もすごい嫌いです。
「大変!」「危険!」「○○病にならないために!!」「○○ガンにならないために!」とか「××病の兆候を見逃さない!」とかそういうやつ。
確かに予防は大切なことだと思うけど、実際、今現在「○○ガン」とか「××病」の人もいるわけで、その人たちはこれを一体どう見てるんだろう、って思う。
しかもこれを真面目にしっかり見てた場合、自分が「○○病」になった時に、なんか自分に必要以上に怒りっていうか無駄にイラ立ちを感じそうっていうのもある。病気にかかることって、そんなに自分の体を自分でコントロール・管理して回避できることではないと思う。だからこれ系の番組は絶対見ない。

ということを、常日頃思ってたんだけど、なんかなるべく言っちゃいけない、みたいな気がしてた。自分でも、同じことを誰かに言っちゃってることがあるし。
(このあいだ自分の本「母乳がいいって絶対ですか?」を読み返したら、「ニセ母乳を買った人のニュースの話」のところで、同じようなことを書いてた。「私はニセ母乳を買わないけど、買ってしまう人の気持ちは分かる」って。
この時、このニュースのことでいろんな人に「え、気持ちは分かるってことは、田房さんももしニセ母乳が売ってたら買うってことですか?」ってギョッとした感じで聞かれたから、その前置きをつけて話していた。
それ読んだ時、ああ、私も同じことを言ってるなと思った)

と、まあ、そういう感じで、いつも、えぐれてるんです。
それで、漫画家の藤河るりさんのこのツイートの漫画(1つめの「ラッキーでした」についての漫画)を読んで、ああ〜〜!! て思いました。
https://twitter.com/shika888/status/829623487664844800
やっぱり、「ええ〜」って思ってもいいんだ、って思った。言われることが多い立場だから仕方ない、と流すことができずにいちいちショックを受けてもいいんだ、自分についてのそういう言葉を見るたび「えぐられる・・・」って感じるのは、当たり前のことなんだ、って思えました。
それが言いたかっただけ〜!
posted by tabusa at 03:49| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月05日

今期のドラマ

ツイッターに今期のドラマの感想を書いてたりしてるんだけど本当に「カルテット」が面白いな。
録画したものやTVerの動画をずっと繰り返し流しっぱなしにしたりしても飽きないし心地よさがすごいし、見る度に「あ、ここってこうなってるんだ」「ここでこんなこと言ってるな」とか発見があったりする。
去年のドラマは「逃げるは恥だが役に立つ」も面白かったけど、個人的に1位は「この恋を思い出してきっと泣いてしまう」でした。毎週超楽しみだった。この二つと同じ脚本の人のドラマ(「最高の離婚」)がネットフリックスにあったのでリアルタイムで見てたけど、もう一度全部見てしまいました。これも面白いけど、もう少し演劇臭の少ないカルテットのほうが好きだな。音楽がすごいのかな。とにかく松たか子がいいです。最高。
その人のまだ見たことないドラマ「それでも、生きてゆく」も見始めたけど、やっぱちょっと子どもが死ぬ系は無理すぎてすぐに停止しました。

そんで、今期のドラマの「スーパーサラリーマン左江内氏」のキョンキョンが恐すぎて、つらい・・・つらい・・・と思いながら見てたんだけど、妻の主張するよく分からない理由によって夫の仕事が阻害される、っていうシーンが本当に苦痛すぎて、もう、無理だ・・・って思った。
横暴な鬼嫁に侵害される弱い夫、っていうのがギャグというか笑えるポイントなんだと思うけど、過去にマジのガチでそういう経験(母や元彼の意味不明・常識外の要求により自分の生活・思考が侵害・断念させられる)がありまくる自分にとってはリアルにエピソードを思い出してしまい、途中からもうテレビ画面を見ていても内容が全く入って来ない状態に何度もなる。笑えないし不快すぎて断念した。「これが笑える人って、なんかいいな・・・」と思った。
「下克上受験」も1話見て、続けられそうだと思ったけど、主人公が「中卒はだめだ」とどうして思ったのかよく分からなくて(ちゃんとした職業に就いて実績も上げているので)、予告で子どもの受験のために無職になった、みたいなのが「ウウウ・・・」ってなった。

書いてない他のドラマもたくさん見ています とにかく断トツが「カルテット」。カルテットとコラボのはらドーナツが食べたい!
posted by tabusa at 20:30| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月29日

無駄な時間

子どもが「これ、こうしたんだよ〜」とか言ってきて「ほんとだ〜 そうしたんだね〜」とかみたいなどうでもいい会話をしている時、200回に1回くらい、
「ああ、こういう時、母は、叔母は、いちいち私に『アンタはどうせ、こうでしょう笑』って嫌な気分になることを言ってきたりしたなあ」と思うことがある。
例えば、私がしたことで、AとBのやり方があったとして、私が「Aでやった」と言ったら、「Bでやればいいのに ばかねえ」とかそういう感じ。AでもBでもどっちでもどうでもいいようなことであっても、「あんたはダメだ」という結論に持って行く。
母も叔母も、すべての会話をそれで返してくるわけではなくて、そのまま「そうなんだ」と言ったり褒めたりてくれることもあったと思うけど、そういうイヤミを言う時もあった。
おばあちゃんはそれを私にはほとんどやらなかったけど、自分の娘たち(母と叔母)には逐一やっていた。


大人が子どもを相手にそういう言動をする、というのは、私の育った家庭だけではなくて、日本中に溢れてる。ドラマやアニメでよく見るし、一番分かりやすいのはジブリの「おもひでぽろぽろ」。あれは家族がずっと罵り合う(特に主人公に対しての姉たちがひどい)映画だ。
相手が自分より幼いと、そういうことが言いやすいんだとは思う。

私はそういうのが嫌で、そういう世界から離れることをここ数年頑張ってきた。自分の娘に1ミリも意地悪なことを言っていない、とは全く思ってないけど、ああいう言動を思い出すと、どうして人と話している時にそんなイヤミな発想が真っ先に出てきて、さらに口に出してしまうのか、よく分からないなって思う。
ああいうのは、方言とか訛りとかと同じで、単純に伝染るものなんじゃないかと思う。だからそういうことをどうしても言ってしまう人というのは、自分も日常的に言われているという環境に必ずいると思う。それか、過去に言われる環境に居続けていて、その「返し」しか知らない、癖として体に染み込んでしまっている、んだと思う。やめるには「やめる」と意識しないと無理だと思う。
つまり「言ってやろう」とか思う前に口から出ている。自分では全くの無自覚。だから相手がそれで不機嫌になったり怒ったりすると「そんなささいなことで怒るなんて」とか「間違ったことは言ってない」と主張する。相手は自分より“下”の存在だから、それで丸め込める。自分が、相手を貶めるようなイヤミを言ってるということに気づいてないから、怒る相手に謝れるはずがない。
そのことにより無駄な、本当に無駄な、生活上に一切不必要な諍いやイライラ気まずさが生まれる。123で進むことが、12345678910くらいかかった上に、45678あたりでは感情や心がグッチャグチャに潰されるような時間が流れる。
あんな時間を過ごすなら、ネットのどうでもいいまとめサイトをボ〜ッと眺めてるほうがまだマシだなって思う。それくらい、私はあの、家族間の、罵る必要なんて全くないのに無自覚に無意識に罵るというつまらない時間 を憎んでるんじゃないかと思う。
posted by tabusa at 15:48| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月26日

ありがとうございました

「キレる私をやめたい〜夫をグーで殴る妻をやめるまで〜」
に登場する岡田法悦さんのインタビュー記事です。全3回のうちの第一回。
このブランシュシュで私もインタビューしていただいたので、こんど載る予定です。

http://www.blanchechou.com/interview/gestalt-01/

岡田さんが感情を感じられなかった っていうのは意外だな〜!
2回目3回目も楽しみ。

ゲシュタルトセラピーについては、「呪詛抜きダイエット」にも書いたけど、「キレる〜」には岡田さんの名前を書いたので、より検索して行きやすくなったのか、読んでくださった人から「ゲシュタルトセラピーに行ってみました」と聞いたり、ゲシュタルトのファシリテーターの人から「田房さんの本を見て来た、という人がすごく増えた」と聞くことがめっちゃ増えました。

==============

1/24のマドレボニータの吉田紫磨子さんとのトークイベントも無事おわりました。来てくださったみなさん、あたたかいメッセージ(感想アンケート)を本当にどうもありがとうございました!

サインの時に、「ネットでは怖そうな人だと思ってたけど、実際に会ったらやわらかい印象で驚きました」って何人かの人に言われました。ネットでは怖そうだけどやわらかい印象 というのはよく言われます。だけど大阪のイベントで、「気持ち悪い人だろうと思い込んでけど、気持ち悪くなかったです」って面と向かって言ってくれた人がいて、ビックリしました 笑
 
posted by tabusa at 05:13| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月16日

風呂敷に包んで持って帰ってよい

最近ネットで見た、発達障害の人への対応の仕方についての記事。
(探したけど、見つかりませんでした・・・)

一体どんな対応をするんだろう、って見てみたら、『普通のこと』だったので拍子抜けした。
発達障害を持つ子どもに「早く帰るよ!」って言うだけでは癇癪を起こす、だから「こういう理由があってもう帰らないといけないんだ、帰ったほうがいいことがあるんだ」みたいな説明をちゃんとする、みたいなことが書いてありました。

発達障害を持つ大人の人への対応も書いてあって、「お昼ご飯はみんなで食べるほうがいいだろう!」と思った人が誘うけど本人は「話すことがなくてつらい・・・」とストレスを溜めていることがあるので、「あの人は一人でいることも大切な人なんだ」と理解しましょう、みたいな内容でした。

すごく分かりやすいサイトだったけど、
発達障害とか関係なく、これって人付き合いの上で、本当は当たり前のことだよね。
いかに、“発達障害じゃないとされてる人たち”が、相手の思い込みや決めつけを「好意(この人に悪気はないのだから)」として頭で変換して解釈し、自分の気持ちや気分よりも、その状況を優先させているか、ってことがよく分かった。


そんで、最近よく思い出すことがある。
中高生くらいの頃、私が学校とかで何かモヤモヤする出来事があって、家に帰って母に相談というか、話すんです。そうすると、母はこう言った。
「そういう嫌な気持ちっていうのはね、家に持って帰らないの。エイコちゃんがやっていることはね、『ああ、嫌だな』と思った時にそれを心の中にある風呂敷に包んでいるの。そして大切にそれを家に持って帰って、わざわざ家の中でその風呂敷を開けているようなものなのよ。だから、その風呂敷ごと、外に置いてきちゃいなさい」

母はこの表現が気に入っているようで、いつも優しい笑顔で言ってくるのでした。
私もすごく納得して、「そうだなあ、その通りだな」と思ってた。

でも、ぜんぜん出来ないんだよねそれ。風呂敷置いて来れない。
言ってる当の本人が、ぜんぜん置いてこれてなくて、家でモヤモヤした気持ちをめっちゃ私に話してくるし。笑
「お母さんが風呂敷置いてきてないじゃん」って直接言ったことも何度もある記憶がある。それとこれとは違う、みたいなことを言い返されてた記憶。

この、「風呂敷に包んで持って帰らない」っていうのは、一緒に住んでいる人にとっては理想だよね。一緒に住んでる人の愚痴を聞きたくないから、「持って帰らないで」って言ってそれで解決すれば一番いいですよね。

この、「愚痴を家に持って帰らない」は、普通に一般的に言われてることで、つまり忘れてしまえ、ってことだよね。そのためにお酒飲んだりする、っていう対応もあると思う。

無理なんだよ。無理。「持って帰らない」って決めて実行するなんて無理。気になってしまうことなんだから、気になっていていいんだよ。
例えば、ぜんぜん一緒にお昼食べたくない人が、良かれと思ってる風にランチに毎日誘ってきて、なんか断れなくて、それで毎日モヤモヤしてるとします。それを家に持って帰っていいんだよ。持って帰るべきなんだよ。そこで「持って帰ってはいけない」と思うことは、苦しみを更に増やしてるんだよね。
持って帰って、自分のモヤモヤを見つめてあげて、注目してあげて、「どんな気持ち?」って語りかけてあげる、それが大事。だって、日中はその気持ちを無視しなきゃいけないから。フォローしてあげないと。

例えば、夫の実家に妻が行った時、妻がニコニコしてるからいいんだと思って自分もリラックスしてたら、家に帰ってきてあーだこーだ!って文句言ってきたとする。もっとこうしてほしい!私はこんなことしたくなかった!って言ってきたとする。その時に、夫が「そんなこと言うんじゃねえよ!」「嫁だったら我慢してろよ!」とか言って、その気持ちをないことにしろ、って要求したとする。それか、妻に大量の酒を飲ませて黙らせたりしたとする。
それを繰り返すうちに妻は諦めて何も言わなくなったり、いきなりいなくなったりする。
不満の声が出てきた時に、それに向き合えるかどうか、がとても大切だと思う。

自分のモヤモヤは、自分からの不満の声だから、とってもありがたいことなんだよね。
その気持ちを聞いてあげるだけでも、いいと思う。
その人とランチを一緒に食べなきゃいけないという「状況」は変わらなくても、自分の気持ちは切り替わるかもしれないし、それによって「状況」も好転する機会もなくはない。
posted by tabusa at 09:47| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする